第39回「大学入学後、変わり果てて行く友人を追って」その2

2015年12月3日実体験・人間考察コラム

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年の瀬に、Y君は都内の中堅大学の経済学部(偏差値でいうところ55前後くらい)に指定校推薦で合格しました。

 
高校3年の1学期の評定平均が4.8だった彼は、たった1枠をかけて、5名との競合にも負けず、早い時期から切符を手にしたのです。
  
ここで、誤解のないように補足しますと、Y君及び私が卒業した高校と学科(コース)は、県内屈指の難関高校とはかけ離れたごく標準レベル(高校偏差値でいうところの50前後)の高校でした。

学校紹介のパンフレットは、"目指せ!日東駒専クラス"と銘打ていましたが、実際は"大東亜帝国レベル"に現役で受かれば合格点の現状でした。
 
特例として、 歴代卒業生の中で、二浪して早稲田大学に合格した者が武勇伝にされているようなレベルと言えば、察していただけると思います。

 私たちの中では、MARCHレベル以上の大学を目指すものは皆無で、3年の夏を過ぎても、世間一般でいう受験モードとはかけ離れたまったりした空気が漂っていました。
     

「センター」とか「受験」とかは口に出してはいけないような暗黙の了解が漂っており、ほとんどの生徒は9月に行われた高校生活最後の学園祭に傾注していたのです。
 
以上の理由から、指定校推薦枠をゲットして、目標に掲げていた中堅大学合格を果たしたY君は快挙であり、各教科の先生たちもY君の合格を一斉に称えていました。

ちなみに、「将来は日本史の教師か博物館で働く仕事が良い」と口ずさんでいたY君ですが、どうして夢の実現と一致していないカリキュラムである経済学科を選んだかというと、
 
「学校の成績で決まる指定校推薦で楽に受かる」
 
「大学名」
 
の2点が理由のようでした。
 
彼にとっては、どの学科でも良いから世間的に名の知れた大学に手軽に進学出来る道を選択したようです。
 Y君はクラスで1位の成績でも、代ゼミ私大模試では英国社の3教科平均偏差値が48前後のレベルでした。
 
一般入試では大東亜帝国クラスが現役で受かるかどうかもわからない懸念をしていたので、書類選考と面接のみで、主要教科での受験はパス出来る推薦入試システムは理想でした。
 
冬からの本格的な受験戦争を前に、エスカレーターに乗るかのようにワンランク上の志望校に辿り着けたのは相当嬉しかったようです。
皮肉にもこの選択が後々の人生に大きく影響するわけですが……。
 
学力面以外の話をします。
 
Y君はその人柄から男女ともに人気がありました。
 
いつも笑顔な彼は友達も多く、思いやりがあって聞き上手なので、成績が悪かったり、失恋に打ちひしがれていた男友達の慰さめ役を厭わずにこなしていました。
その上ルックスも良かったので、モテ男要素を兼ね備えていました。
 
似ている有名人に例えると、週刊少年ジャンプ『ハンター×ハンター』に登場する”シャウアプフ”や『テニスの王子様』の青学”不二周助”です。
 
※Yahoo!画像検索の「シャウアプフ」「不二周助」はリンク先をクリックしてみてください。)

特別女子と仲良くなかったのにも関わらず、「彼にするならY君が良い」という具合で、女子の間のかっこいい男子ランキングで上位に位置していたようです。

 
卒業式に、ほぼ彼と会話を交わしたことがないクラスメイトの女子から私が告白の手助けを頼まれるほど注目の的でした。
 
そんな輝いていた期待の星が大学卒業後に引き籠りになってしまうとは、この時私をはじめ同級生の誰もが予想だにしなかったはずです。
 
私も彼と共に過ごした高校生活のイメージが強すぎて、8年経った未だに変わり果てた彼とのギャップが拭いきれずにいます。
 

そして、次回は新天地に移り変わり、大学入学後に変わりゆくY君の姿を中心に展開します。

彼が初めて挫折を知った世界です。

続く

2015年12月3日

Posted by TAKA