第342回「偽りの自分を演じ続けることを誰も必要としていないから」

上手くいかない人生道化,人間関係

面白くもない話に相槌をうち、相手の機嫌を損なわないように会話を合わせて、いつもの作り笑いをしている。

自分の言いたいことを極力抑えて、場の雰囲気を重んじるように振舞えば、また明日もこの人達と角が立たずに関係をキープすることが出来るから。

あともう少しだけ、あと数時間だけも自分を演じ続ければ、解放される。

そうして、帰り道に我に返ってふとこみ上げる虚しさや孤独感。

本当の自分はどこに行ってしまったのだろうか。


会社の飲み会やミーティングの場面をイメージしながら、幾度となく経験してきた胸中を冒頭に表現してみました。

場の空気を読むこと、自己主張をしすぎないこと、相手のテンションに合わせること。

どれも社会を生き抜くための「常識」と呼ばれるようなコミュニケーションスキルですが、小学生の頃から私は意識すればするほど、自分らしさが分からなくなってしまうような心境に陥ります。

自分はいったい何者で、この先どこに進んで行こうとしているのだろうか。

そんな出口の見えない迷路やトンネルを暗中模索しているような状態の時、私は以下の二つの作品の存在を思い出します。

人間失格 (集英社文庫)

嫌われ松子の一生 通常版 [DVD]

 

ご存知太宰治の名作『人間失格』と山田宗樹原作の『嫌われ松子の一生』です。

二つの作品に共通しているテーマは、「人生の転落」です。

両主人公とも自分を封じて道化を演じ続けることで、周囲の人間に嘲笑され、ぞんざいな扱いをされて、傷つき、裏切られを繰り返しながら衰退して行く物語です。

顛末を知っているだけに、私もふとした瞬間に、このまま社会という場に合わせた自分を演じ続けることで、彼らのような末路を辿ることになるのかと想像してぞっとすることがあります。

きっとそういう時は、本当の自分ではないと自己覚知をしているからこそ生まれる心境なのだと思います。

 

振り返れば私は小学生低学年から、学生生活から自分の本心を隠して、その場を乗り過ごすための立ち居振る舞いを重ねてきていました。

そうすることで、恥をかくこともないし、周りを引き立てて場を盛り上げることが自分の役目だと思い込んでいました。

けれども、ある時、傍にいた仲間や同僚から言われた言葉によって、少しずつ考え方が修正されることになりました。


TAKA氏はつかみどころがない。

こういう場なんだから、言いたいことを全て話しちゃいなよ。

自分の中では、空気を読んで道化を演じていたつもりでも、周囲の人間にはそれは仮初の姿であると見抜かれていたのですよね。

自分を押し殺してまでして、聴き手に回って作り笑いに興じる姿を振舞ったことで、自己嫌悪が残るだけではなくて、周りからも自己評価が下がっていたのを痛感したのです。

そういう出来事が何回か続いてから、これまでとは反対に「自分を出す」というアクションを少しずつ実験してみるようになりました。

相手の顔色を気にしすぎずに、自分が思ったことをストレートに出してみる。

試行錯誤の実験は長年に渡りましたが、たったそれだけで、嫌われるどころか周りの受け取り方も柔和になっていき、不思議と日常の仕事も上手く運ぶようになっていくこともありました。

 

今でも、社会に必死に食らいついて、時には自分を見失ったり、人間関係の軋轢に疲弊してぐったりすることも多々ありますが、「言いたいことはため込まずに表現して良いし、自分のためにも相手のためにもなる」と暗示を重ねてきたことで、心の立ち直りが20代よりも早くなったような気がします。

もしもあなた様自身が何らかのレールの上で自分を演じ続けて疲れ切っていたとしたら、私の体験談と上記で取り上げた太宰治の『人間失格』と山田宗樹原作の『嫌われ松子の一生』を眺めてみることで、反面教師として自分を取り戻せるヒントを掴めるかもしれません。

Posted by TAKA