第292回「1000回断られても折れない心 カーネル・サンダースの生き方から」
※恋愛にご利益があると有名な鎌倉成就院の不動明王
平成生まれの読者の方はご存知ないかもしれませんが、
今から24年ほど前に『101回目のプロポーズ 』というトレンディドラマの金字塔とも言える名作が誕生しました。
さえない中年サラリーマン(武田鉄矢)が100回目のお見合いで出逢った美人チェロ奏者(浅野温子)に猛アプローチをして、101回目のプロポーズで見事に心を射止めたという内容です。
これはあくまでもドラマの世界の話ですが、何度振られてもめげずに挑戦し続けて、最高の幸せをゲットするという逆転劇は、当時小学生だった私のハートにも熱いものがこみ上げてきたのを覚えています。
そして今回紹介するのは、日本人なら誰もが知っているであろう有名人であるカーネル・サンダースです。
街角でよく目にするケンタッキーの店先で微笑んでいるあのカーネルおじさんです。
今年で没後45年が経とうとしていますが、カーネルさんはケンタッキーフライドチキンのフランチャイルズの創業者でもあります。
カーネルさんはあの笑顔とは裏腹に、想像を絶するような苦労を経験してきました。
自身が編み出したフライドチキンのレシピを売り出すために、100回断られたどころか、
1009回ものNOを突き付けられた来たのです。
カーネルさんが飛び込み営業を始めたのはなんと65歳になってでした。
カフェレストランを運営していましたが、売り上げが激減してしまい、泣く泣く手放すことになりました。
年金をもらえる歳になっていましたが、月にわずか105ドルしかもらえませんでした。
そこで考え付いたのが、カフェで人気メニューだったフライドチキンの作り方を飲食店に売って、
売れた分だけ数セントのロイヤルティを交わすという作戦でした。
年金は車のガソリンに費やして、以後2年間もアメリカ中を横断するようになります。
もちろん、ホテルなどに泊まるお金はないので、車の後部座席がベッドの代わりです。
食事は見本で作ったフライドチキンです。
カーネルさんは1000回以上断られても諦めることなく、一軒一軒レストランを回り続けたのです。
もしも1009回目で諦めていたら、今日のケンタッキーは私達の身近に存在していなかったのかもしれないと思うと、偉業の達成と諦めは紙一重だったわけです。
カーネルさんは後にインタビューで、成功した秘訣に対して、
「自分には特別な才能は一切なかったと思う」
と答えています。
ワシはただ二つのルールを守って来ただけなんじゃよ。
『できることはすべてやれ。』
『やるなら最善を尽くせ。』
これが何かを達成するための唯一の流儀じゃないかな。
『最も奉仕する者が最大の利益を得る。』
『我が身の前に他人に奉仕せよ。』
以来ワシは、物事を行う際これら二つのモットーに従うように努めてきたんじゃ。
美味しいもので人を幸せにしたいという強い信念をもとに、
1000回以上NOをぶつけられても諦めなかった不屈の精神のカーネルさんの半生を知ると、
私達も10回や20回失敗したくらいで可能性を潰してしまうのはもったいないという気持ちになります。
カーネルさんのあの笑顔を見にケンタッキーに足を運びたくなりました。
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