第240回「自分は鬱病になるはずがないという思いから始まった闘病生活」
「鬱病は精神的に弱い人がなる」
「自分がなるはずがない」
と思っていました。
後にそう語ったのは、かつて『情報ライブミヤネ屋』(日本テレビ系)内のニュースコーナーを担当し、番組司会の宮根誠司さんから「奇跡の38歳」などと評されて一躍人気が出た、元ニュースキャスターの丸岡いずみさんです。
丸岡さんは、入院生活を余儀なくされるほどの、壮絶な鬱病の闘病生活を経験したことでも知られています。
丸岡さんが自身の体調の異変に気付いたのは東日本大震災後の2011年7月だったと言います。
震災現場での報道で疲れが溜まり、食欲が落ち、一睡もできなくなってしまったそうです。
休むことが許されない環境の中、無理をしながら何とか仕事を続けていましたが、8月29日民主党代表選挙の日に、とうとう限界が訪れ、翌日から長期休業を決断して降板しています。
大震災と激務という精神的疲労についに耐え切れなくなった丸岡さんは表舞台から姿を消して、自宅での静養生活へと切り替わります。
鬱病と闘う日々は、まさに生き地獄だったと語っています。
「自分は罪深い人間だ」
と24時間自分を責め立て、子供のころの小さな出来事まで引っ張り出して自分を責める材料にしていったそうです。
「幻聴」と「幻覚」がもたらす症状によって、療養のために帰省した実家で看病をしてくれた母親に、殺されるという妄想が止まらないほどになっていたようです。
そんな丸岡さんを支えたのが、他でもない夫の有村昂さんでした。
丸岡さんは、闘病生活の前に有村さんと出逢いました。
ずっと有村さんの片思い状態が続いていましたが、闘病生活で逢えない間も、決して有村さんは丸岡さんを見捨てませんでした。
ある時に丸岡さんが鬱病だと電話で告白したら、
「誰でもなる病気だよ」
と、返されて、そんな考え方をする人もいるのだと、ほっとしたようです。
有村さんは鬱病の本を沢山読み、どうしたら丸岡さんを救えるのか一生懸命勉強して、メールを送りながら支え続けたようです。
丸岡さんにとっては、肉親である両親の理解も大きかったようです。
「やりたいことはやればいいし、やらなくていいことはしなくていい」という言葉に救われたそうです。
父親からの、「休むことも生きること」という言葉が大きな支えになったのでした。
以前密着取材した陸前高田市の仮設住宅の方からも、応援のエールを送ってもらったようです。
自分達も先が見えない状況で辛い中、こうした優しさは心に沁みたようです。
こうした温かい理解者の存在によって、丸岡さんは徐々に病状が回復して行ったのでした。
退院後に、丸岡さんは有村さんと交際するようになり、その誠実さに更に惚れてゴールインしたのです。
自分が辛い時、いざという場面で逃げずに支えてくれる存在というものはかけがえのない財産ですよね。
精神疾患を抱えているという偏見から距離を置いてしまうような人間も少なからずいるでしょうが、見放さずにそっと見守ってくれる心友こそが真の理解者でしょう。
誰しもが心を病んでしまうかもしれない今日の社会だからこそ、頑張りすぎないこと、しっかりと休むこと、一人で抱え込まずにSOSのサインを発信することは、必要不可欠の能力になってきているのです。
参照:丸岡いずみの壮絶な鬱闘病を”片思い中に”支え続けた現夫・有村昆の愛が王子様のようだった
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恋愛がうまく行かずに、明日を見失っている方に向けてのコラムを20年間発信してまいりました。メールと通話を使った直接対話サービスも10年以上続けております。累計の相談実績は約5000件。
マイナビニュースでも拙コラムの一部を掲載しております。
筆者自身が20代から30代前半まで10回連続片思い失恋を経験したこともあります。
男女の心理が分からない、片思い止まりでどこからどう変われば良いのかさまよわれている方に向けて、拙コラムがお役に立てれば幸いです。
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公認心理師
精神保健福祉士
国家資格キャリアコンサルタント
伴走型支援士
ストレスチェック実施者
メンタルヘルス・マネジメント検定II種III種
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