第131回「私も忘れることができない過去を背負って生きています」その2
中学に進学した私は、同級生からこう揶揄されるようになりました。
「TAKA氏は何を考えているのか分からない」
振り返ってみても、 中学2年までは、最初の暗黒時代でした。
本当は自分を出したい。
でも、自分を表現して、拒絶されたり、また離れてしまうのが怖くて、仮面をかぶるようになっていたのです。
どんなにたくさんのゲームをしても、ペットの世話をしていても、心を覆っている孤独感から決して癒されることはありませんでした。
他人と比較する日々に疲れ果てていて、学校に通うのも嫌になっていました。
勉強はますます難しくなっていき、運動神経も極端に悪かった自分は、授業中にみんなから笑いの対象にされることもありました。
TAKA氏は走り方がおかしい。
バレーボールが下手すぎる。
ぎこちない動作の連続で、周囲から失笑を生んでいて、晒し者にあっているかのようでした。
小学3年まで、調子に乗っておちゃらけて、笑いを取っていた時とは異なって、みんなと違うことから蔑視の目で見られていたのです。
自分なりに必死で精一杯頑張っているのに、どうしたらみんなのように上手く動けるかを体で表現できませんでした。
体育の授業は仮病で休むようになり、自分を出すことはますます怖くなっていきました。
人と面と向かって話すのが怖くて、常に上目使いで話すようになり、弱みを見せないように本音も封印するようになりました。
運動や学力だけではなく、外見にも自信がありませんでした。
生まれつき右目の上に大きなたんこぶがついていて、ゲゲゲの鬼太郎のように前髪が覆われていました。
周囲からは、「TAKA氏の髪は暑苦しい」と批判されていました。
家ではストレスを親にぶつけるように暴言を吐くことが増えましたが、学校での実情は決して話せませんでした。
こんな弱い自分を見せるのは、人間として、男としてかっこ悪いと思っていたからです。
それでもプライドだけは、一丁前に高かったのです。
私のつるんでいる友人達は、自分よりも成績が良かったので、張り合うために、いつも偽りの成績を述べていました。
「できる自分」を作り上げて、嘘を重ねていることで、友人達からは、「TAKA氏って頭いいよね」と言われるようになりましたが、心には虚無感が広がり、嘘をつき続けている苦しさから、パンパンに膨れ上がっていました。
本当の私は、成績は平均くらいで、自分を持っていない空っぽの男だったのです。
やがて、有名無実であることが暴かれる瞬間が訪れました。
「5点」と書かかれている数学の答案用紙を、たまたま同級生に見られてしまったのです。
「TAKA氏は信用できない」「卑怯者だ」という辛らつな声が広まっていたようで、からかいの対象に遭うようにもなりました。
それまで私は、消化しきれないウサ晴らしから、自分よりも成績や運動神経が悪かった数人のクラスメイトを見下して、陰湿な暴言を吐いたりしていました。
自己肯定感を喪失していた自分の存在意義を高めるつもりでストレス発散していたのです。
意地悪をしてきたクラスメイトと、その様子を見ていた同級生がタッグを組んで、ここぞとばかりに復讐の材料になりました。
ちびまる子ちゃんに登場する藤木君というキャラクターがいるのですが、顔色が悪くて卑怯者という特徴が私と合致するようで、「藤木君」と呼ばれるようになりました。
まさに因果応報でした。
自分が繰り返してきた愚行の数々が、めぐりめぐって、倍になって自分に返ってきたのです。
舌鋒鋭くからかってくる相手は複数いました。
多勢に無勢で、抗うことはできませんでした。
いざ、自分がターゲットになると、辛くて辛くて、休み時間に泣き出したり、運動会の前にしりごんでしまって号泣してしまいました。
同時期に、部活の人間関係も上手くいかず(集団活動になじめずに、自分だけ取り残されているような孤独感を感じていた)、どん底に這いつくばりながら心の叫びを訴える日々でした。
もう学校なんて行きたくない。
何もかもが楽しくない。
誰か助けて!!
毎日が深い闇に支配されていました。
そんな私はそれ以上奈落の底に落ちることはありませんでした。
こんな絶望の淵に立たされている私のもとに、一筋の光が差し込んできたのです。
結果から言えば、その後物事は悪い方向には進まなかったのです。
13歳にして、どん底を味わったことで、それから人生は好転し始めたのです。
救い主は、多くの先生方と、こんな私を見捨てなかった一部の同級生でした。
全力でバックアップしてくれたおかげで、からかいは止まり、不登校にはならずにすみました。
それからまもなくして、文系の部活に転部することもできて、心が楽になっていきました。
3年次から、少しずつ自分を変える転機が訪れました。
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