第172回「友達が少ないことはツキの始まり」

上手くいかない人生


友達が多くないと、価値が低いように思えてならない。


実は最近相談者様のお話をうかがっている中で、多く感じ取るようになったのが、「友達が少ない自己卑下」や、「世の中に取り残されているような焦燥感、虚無感」を抱えている姿です。

恋人の有無の以前に友達がいない、いても指で数えるほどしかいない自分に対して、劣等感や孤独感を覚えていて、誰も言えずに苦しんでいる声が目立っています。


学校の同級生や会社の同僚は、休日になると多くの友人達と旅行に行ったり、学校や会社帰りには飲み屋に立ち寄ってはグループでの楽しい一時を過ごしている。

週末の街中は、楽しそうに談笑しながら目の前を歩いてる仲良しグループが視界に入ってくる。

その要因は一概には言えませんが、周囲の環境が影響していることは共通しています。



現実世界だけではなくて、大人気作品の「ワンピース」一つを見てみても、友情の大切さが大々的に描写されています。


ネットの世界に目を向けても、FACEBOOKで友達登録が100人を超えるほどの同級生との比較によって孤独が増したり、

LINEのグループ機能といった、旧来の一対一のやり取りとは一線を画するような世界の登場によって、孤立感を深める要因につながってしまっているかもしれません。


友達と呼べる人間なんてほとんどいないよ。

自分の存在が無価値に思えて仕方がない。



周囲との比較によって、自信を失ってしまっている方が体感的に増えてきているように感じています。


振り返ってみれば、幼少時代から集団生活の中で生きてきた私達は、他者と支え合うことを求められてきたり、友達がいることで、人生が実りのあるものになるように教わってくる体験を多々経てきたのではないでしょうか。

学園ものをテーマにした、有名作品である「3年B組金八先生」や「GTO」を見てみても、友情の大切さが至る場面で説かれています。

大学生活では、一人で行動している人間の孤独感が問題視された出来事の一つとして、昼食を一人で食べられずに、トイレの個室で人知れずコンビニ弁当を食べるような学生が増えているという現象が話題になったこともありました。

一人で食事を摂っている姿を同級生や知り合いに見られたら恥ずかしいし寂しい人間だと思われてしまうからという理由の方が多いようです。


とにかく誰かとつながっていないと不安になる。

友達が少ない自分は周りから見ても相当寂しい人間だと思われてしまう。

そういう疑心暗鬼な思いが強くなってしまい、自分の殻に閉じこもってしまう方もいるのです。


ここまで語ってきたように、学生生活や日常社会のあらゆる場面を見ても、「友達が多い方が人生は楽しいし、人として魅力があるものだ」という風潮が強くあることが分かります。

一方で、「友達は少ない方が良いのだよ」という逆説的な意見を唱える人間も確かに存在します。

2013年の流行語に選ばれた「今でしょ!」でおなじみの東進ハイスクール現代文講師である林修先生の著書「いつやるか?今でしょ!」の中で触れていますが、林先生は生徒達に対して、「友達は少ない方が良い」というような言葉をかけていると言うのです。

林先生自身が単独行動を基本にしているというところから来ているようですが、一人で過ごせる時間を大切にできる人間ほど魅力があるし、自然と周りに人が集まってくるという見解からそう述べているようです。

孤独の時間ほど人間的深みを増すために欠かせないものであるという考えが伝わってきます。

大学生活や会社の人間関係の構図を取ってみても、一人で授業を受けていたり、休憩時間は単独行動を取っているけれども、仕事はチームワークを重んじて協調性のある人間からは、不思議と魅力を感じるものです。


名作「ドラゴンボール」に出てくるピッコロというキャラクターの存在があてはまる部分があると思います。

ピッコロは常に仲間達と馴れ合うわけではなく、クールで口数が少ないけれども、いざという場面ではどこからともなくかけつけて、仲間たちの窮地を助けてくれます。

ピッコロが時に発する言葉や分析は、物事の真髄を突いているような内容で、彼の洞察力の深さをうかがわせられます。


話は戻りますが、そもそも一生の中で心から友達と呼べるような存在に出逢える確率の方が少ないと思います。

友達は多い方が良いという風潮がある中でも、心から信頼し合える仲で、末永く付き合っていける相手が一生のうちにそう何人も巡り会えるものではないでしょう。


最近、電車の中吊り広告で、インパクトのあるキャッチコピーを目にしました。

関東のある大学の広告なのですが、以下のようなフレーズが書かれていました。

「ネットの友達が千人いようが、ここでは誰にも尊敬されない」

人と人とのつながりが浮き彫りになっている昨今だからこそ、考えさせられるような一言でした。


友達が多い方が幸せなのか、そもそも友達という定義は何なのか。

つながりが複雑化している今日この頃だからこそ色々と考える要素はありますが、私はこのような悩みを抱えている方々に対して、いつもこう述べています。


今友達と思えるような存在がいないとしても、これから先探し続けば見つかりますし、いないからと言って人間的価値が低いわけではありません。

一人でも自分のことを認めてくれる友がいれば、それだけで宝です。

孤独を知っているからこそ、その経験がこの先自分だけではなく、誰かの役に立てるでしょう。


私自身がそうであったからこそ、このような苦しみを抱えている方々にそう伝え続けています。

Posted by TAKA