第242回「ブログを続ける上で欠かせない″嫌われる勇気”という覚悟」

2015年11月30日実体験・人間考察コラム

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健


国内で73万部を突破した大ヒットセラーのアドラー心理学の入門書です。

フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想を、「青年と哲人の対話篇」という物語形式を用いてまとめた一冊です。

書店棚の売上ランキングを眺めてみれば、このブルーのタイトルが必ずと言っていいほど目に入るほど人気ほどです。

日本のみならず、韓国でもベストセラーになっているそうです。

嫌われる勇気


それにしても強烈なインパクトですよね。

キャッチコピーに、嫌われる勇気の本質が書かれています。

自由とは他者から嫌われることである」と。

自由を獲得するためには、他人に嫌われてでもやりたい放題に貫き通す勇気が必要であることを説いているのではありません。

自分の人生に忠実に生きるためには、たとえ他人に嫌われてでも行動を起こさなければならないことが述べてあります。

嫌われる勇気と言う意味では、私はこの物書きの作業を続けている以上、宿命として背負っているところがあります。

今回は執筆面に着目して、過去から現在までの舞台背景を明かして行きたいと思います。

ブログという媒体は、自分の意思を自由に発信できるメリットがある一方で、それを受け取る人間の解釈も千差万別であるものです。

井の中の蛙だった私が大海を知ったのは、マイナビ社でのコラム連載時でした。

1回~100回までのコラムを半年に渡って掲載していましたが、実に多くの感想が寄せられました。

その中には、毎回のように批判的なコメントを送ってくる読者が必ず数人いました。

そういうメッセージに目を通すと、新作に着手するにあたって、守りの姿勢に移りたくなるような衝動に駆られました。

そして読者に嫌われることのないよう当たり障りのない記事を数品リリースしたこともありましたが、

案の定その作品のアクセス数は伸び悩み、コメントも振るいませんでした。

アンチのような書き込みは見られませんでしたが、終えてみて、

「こんな文章は自分が言いたかったことじゃない」

という虚しさに支配されていました。

マイナビ社の連載が終わってからは、しばらく新作コラムの着手からは身を引いていました。

100回を達成して一区切りがついたという面がありましたが、これから自分が目指す方向をもう一度固めたいという思いからストップしたのです。

それから間もなくしてマイナビ社での相談コーナーの専門員を経験しながら、宅建、社会福祉士という国家資格を取得したことで、資格取得応援ブログという新しい取り組みをスタートしました。

マイナビ社でのコラム連載経験を活かして、今度こそは自分の言いたいことをなりふり構わず発信したいという思いで続けてきました。

しかし、ここでも私の記事をよく思わない人間からのメールやコメントがしばしば送られてきました。

匿名掲示板で私の名前を騙って、事実無根の情報を流している書き込み内容とURLを貼られたことがありました。

そこまで散々言われ放題やられてまで、ブログを継続する理由があるのだろうかという自問自答は止みませんでした。

その中でも一番堪えたのは、合格発表後の以下のコメントでした。

あなたのブログを信じて仕事を辞めてこの一年独学で頑張ったのに、受からなかった。

無責任なことを言わないでください!!


この他にも、私が良かれと思ったメッセージが裏目に出てしまって、相手を傷つけてしまった出来事が重なり、自由に発信できるブログの罪悪感が深まっていきました。

私自身が匿名からのコメントによってダメージを受けてしまったこと以上に、

私が発信した情報で誰かの人生を狂わせてしまったという自責の念に駆られて、

もう合格発表後からの更新を辞めてしまおうかと本気で考えたほどでした。

そんな渦中で、憔悴しきった私の胸の内をある男性に吐露したところ、一筋の光明が広がりました。


自分もブログ開設当初に匿名の攻撃によって相当やられたことがあるけれども、守ってくれたのは他でもない読者だった。

今でもそういうアンチが定期的にやってきているけど、相手にしない、気にしないことが大切だよ。

そうおっしゃったのは、宅建カリスマブロガーとして有名なイッチャンこと一木秀樹 さんです。

私が宅建受験時代からイッチャンブログには不安なメンタルを癒してもらっていたのですが、イッチャンからの教えが今日のブログの礎にもなっています。

イッチャンとは、合格祝賀会やセミナーでお逢いしたことがあり、上記のようなエピソードを聴かせていただくのですが、私の気持ちがスッと楽になったのです。

私が続ける理由、それは他でもない読者である大勢の受験生の支えがあるからでした。

たとえ嫌われてしまったり、傷つけてしまうような文章を発信していたとしても、それで止めてしまうことほどもったいないことはないことを再認識しました。

いい人を演じようとしていたら、本心や本気のメッセージは発信できなくなる。

時にはそういう自制心も必要だけど、基本的にその時、その瞬間思ったことや、伝えたいことを発信すれば良いのだと。

それからは、恋愛コラムの執筆も軌道に乗って、今日現在240回を超える回数まで到達しています。

なぜここまで続けて来られたのかと言えば、基本的に言いたい放題のことを自由気ままに発信できているからです。

今でも心無いメッセージは不定期で訪れて、その度にグサッと傷ついたり落ち込んでいる私ですが、もう終わりにしてしまおうとは思いません。

私は物書きが楽しいのです。

この楽しさを持続するためには、誰かに嫌われてしまうリスクは避けては通れない道であるという自覚はあります。

進んで他人からは嫌われたくありませんが、嫌われてしまうことを極端に恐れない人生は、確かに得るものが大きいであろうと肌で感じています。

私もまだまだ完全なる境地にはたどり着いていませんが、生きているうちにやれることはやっておきたいという思いから、今日も新しいこのコラムを発信します。

2015年11月30日

Posted by TAKA