第176回「一寸先は光」

2015年12月1日上手くいかない人生


この先ずっと恋人ができない気がする。

自分の将来を考えるとお先真っ暗だ。

ふとした瞬間、こんな心境に陥ったことはありませんか。

これからお話する正志君も、暗中模索を続けてきた時期がありました。

正志君は私の中学時代の同級生です。

彼とは中学卒業後に別々の高校になったものの、時を経て、私と同じ都内にある大学に現役で進学することになり、その地で再会を果たすことができました。

 
彼も私も地方出身なので、上京して大学近辺でアパートを借りて、一人暮らしの新生活を開始した者同士でした。

彼と久しぶりに待ち合わせたのは、大学の講義が始まる前のプレシーズンの期間でのことでした。

私は文学部、彼は法学部で、授業が交わることはありませんでしたが、キャンパスが同じだったので、会おうと思えば時間を調整して会うことが出来たのです。

高校時代の3年間は、時々電話で近況報告をしていたくらいで、実際に会うのは中学の卒業式以来でした。

彼は大学生活に期待を抱いているというよりも、受験の未練が残っているようでした。

彼はワンランク上の大学進学を志していたものの、一般入試に敗れてしまい、滑り止めで受かったこの大学に不本意ながら入学したわけです。

 
これから新生活が始まるというのに、彼は「こんなはずではなかった」という、現状に満足していない発言を頻発していました。

桜の舞う時期に、彼の儚い表情が濃く残りました。

 
4月下旬から大学の授業が開始して、GWが終わり、少しずつ大学生活に慣れ始めてきた6月の夜半、彼から電話がかかってきました。

前回会ってから、一度もやり取りを交わしていなかったのですが、電話の鳴り響くタイミングから、妙な胸騒ぎをしたのを覚えています。

 
「俺、大学辞めたんよ」

開口一番、彼は大学を退学した事実を私に伝えてきました。

しかし、青天のへきれきというよりも、なんとなく予感できていた発言だったので、冷静に受け止めることができました。

彼は法律の授業があまりにも難解でついていけず、自分には向いていないと判断して、ドロップアウトしたと説明していました。

既に下宿先も引き払ってしまい、地元に帰省しているようでした。

その電話をもって、彼とは連絡をしないまま月日が流れていました。

彼がその後どんな道をたどることになるのか気になるところではありましたが、自分は自分で新しい生活が始まったばかりだったので、すぐに目線を切り替えたのです。

彼と再び目にしたのは、地元での成人式での会場でした。

20歳になった彼は、少し精悍になった様子で、私が大学入学当初に会ったあの卑屈になっていた表情とは異なっていました。

聴くところによると、大学を中退した後、ブランクを空けて看護師になるための学校に進学したとのことでした。

それまでの彼のイメージから、「なぜに看護師!?」という意外性が拭えませんでしたが、大学を辞めた後に独り悩み抜いた末の選択なんだろうと思い、突っ込まずに話を聴いていました。

それからの彼は、看護の学校を卒業した後に、隣県の総合病院に勤務することになりました。

大学生活でたった数か月だけ一人暮らしを経験した彼でしたが、今度は病院の寮で住み込みで働くようになりました。

ところが、この新天地でも試練が待っていました。

仕事そのものはやりがいがあったようですが、独特な職場環境から孤立してしまい、責任の重圧に心を病んでしまったようでした。

そんな憔悴しきった彼から再び連絡があったのは、成人式で会ってから4年の歳月が経っていました。


 「仕事がキツくて仕方がない。逃げ道がない。」


その切羽詰まった声からは、私が知っているあの彼ではないような様子でした。

彼は相当自分を追い込んでいたようですが、間もなくして仕事を辞めたようでした。

彼の転機は、頑張りすぎずに、すぐに道を切り替えたことでした。

それから地元に戻り、自宅から通える範囲内の病院で、再就職先を見つけたようでした。
 

幸いなことに、看護職は慢性的人手不足により、他職種と比較すると転職先が豊富なのです。

彼は極限状態に立たされて初めて、「今の環境が人生のすべてではない。自分を活かせる職場はたくさんあるし、まだ若いからいくらでもやり直しが利く」という発想に切り替わったようです。

大学生活を数か月で辞めたものの、すぐに新しい世界に切り替えた経験則も後押ししているようでした。

 
それから今に至るまで7年間、彼は今の職場で周囲からも認められているようで、上手く続けられているようです。

彼は10代前半と20代前半に、今の道を選ぶか捨てるかという究極の選択に迫られましたが、思い切ってその先に一歩踏み出したことで開眼できたようです。

そんな苦労続きの彼ですが、仕事とは別の面で長年悩み続けていることがありました。

それは、彼女が欲しいけれども、自分を好きになってくれる女性がいないということです。

 
どちらかというとシャイで引っ込み思案の考えである彼は、恋愛の話になると閉口してしまうようなタイプでした。

中学時代にも浮いた話は一つもありませんでしたし、高校時代は男子校だったので、異性と接する機会自体が少なかったようです。

大学では恋人どころか友人さえ作れないまま立ち退いてしまったわけです。

その先に待っていた看護の世界は、圧倒的に女性率が高いため、出逢いには恵まれているはずなのですが、元来、女性に対しては一歩引いてしまう性格から、同僚以上の関係には発展できなかったようです。

 
20代後半になると、同級生たちは続々と結婚していき、恋愛できていない自分にますます焦燥感を覚えるようになっていきました。

追い込まれた彼は、ついに自分から行動するようになりました。

小学校時代からのよしみである独身の同級生女性達にアプローチするものの、学生時代のイメージが強く残っているためか、

「彼氏としては考えられない」と一刀両断されてしまい、恋愛のチャンスをことごとくつかめないでいました。

そんな恋愛コンプレックスだった彼が30代になった今、6歳年下の平成生まれの彼女と同棲生活を続けています。

一緒にいてとても楽な存在のようで、結婚を視野に入れて生活しているようでした。

20代後半まで恋愛に縁がなかった彼に一体何が起こったのか。

ドラマのような劇的な出来事があったわけではないようです。

きっかけは彼が勇気を出して彼女にアプローチしたことでした。

彼女とは職場で一時期配属先が同じだったようで、仕事を通じて彼が彼女に好意を抱くようになり、ダメもとで自分の連絡先を渡したことから、とんとん拍子に仲が深まって行ったたしいのです。

それまでは、気になる異性の連絡先までは交換できても、ことごとくデートを誘ってもかわされ続けていたのに、その彼女の場合は、嘘のようにスムーズに運んだとのことでした。

今までが全て上手く行かなかったとしても、挑戦を続けている限り、自分を認めて受け入れてくれる人間や環境が必ず存在する。

取捨選択を重ねてきた彼の背中を見てそう教えてもらいました。

一寸先は光でもあるのです。

2015年12月1日

Posted by TAKA