第363回「何をやっても恋愛だけが上手くいかないスパイラルに陥っていたら」

2019年5月27日実体験・人間考察コラム恋愛だけがうまくいかない,恋愛だけが上手くいかない,片思い止まり,自信喪失

20代後半から30代までは何をやっても片思い止まりだった私


令和に入って初めてのコラムになります。

私が恋愛コラムを執筆し始めてから15年の月日が流れました。

360を超えるコラムの数々のテーマは、私自身の恋愛実体験をベースとしたものや、相談者様とのやり取りの中で共通して見られるつまづきをモチーフにコラムを展開してきました。


15年もこうした活動をしていると、恋愛のエキスパートのように見ていただけることが増えてきましたが、確かに断言できることがあります。


それは、「恋愛が上手くいかない経験を人一倍繰り返してきた」ということです。


異性に不自由なく、何もしなくても異性から言い寄ってもらえる悩みというものとは真逆です。

20代後半からはどれだけ努力を尽くしても成就しない片思いの連続から、出口の見えないトンネルを長い間暗中模索し続けてきたのです。

こうして文字にしてまとめるのにかかったのは2時間程度ですが、コラムに凝縮された歴史は5年を超えています。
形になるまでしばらくコラムの更新を止めていたという事情がありました。


決して身近な人間に話せるような内容ではありませんが、ここで開示することで似た境地に立たされている方にとって何か一つでも解決の糸口や視点の切り替えにつながるかもしれないと思い、さかのぼること7年前から計画していました。

これからお話する実体験は、私の半生の中でいかにその時期をもがき、苦しんできたのかをまとめた内容になります。

何をやっても恋愛だけが上手くいかない


こんな思いを抱いた方は私以外にも相当数いらっしゃると思われます。
現にこのコラムをご覧のあなた様自身もまさに痛感されているかもしれません。

私はその思いを5年以上抱え続けていました。

その間好きになってアプローチを続けた女性は10人程います。

ある時期から恋愛が一向に上手く行かなくなったのです。
それは、当時結婚を初めて本気で考えたほどの彼女と性格の不一致によって別れてからのタイミングでした。

「何をやっても」と表現したように、好きになってただ指をくわえて何もしなかったわけではありません。

時には、相手から連絡が来てアプローチしてくれないかと期待を寄せたこともありましたが、相手から一対一のデートに誘われることは一度もなかったように記憶しています。

つまり、毎回私から動かないことには一向に進展できないような状況であり、かといって私から動いたものの思いが実ることがなかったことが共通していました。

片思いの甘酸っぱさという次元を超えて先の見えない苦しみと一方通行のような行き詰まり感を何千回と痛感し続けていました。

この停滞期は、年齢で言うと、20代後半から30代の突入まで継続していました。

そのくらいの年代になると、恋人がいる層も目立ってきますが、そこから結婚をして、家庭を築き、出産するというステップに進んでいく同級生達の姿も増えてきます。

当時の私は横目で見ながら、まるで別次元に離れていってしまったような孤独感や劣等感に駆られ、惨めになるようで次第に自らその層と距離を置くようになっていました。

内心、「恋人がいないことが辛い」という思いはつきまとっていましたが、更に突き詰めた表現に言い換えると、恋愛のスタートラインにすら立てない自分が惨めで悔しかったのです。


自分でもコントロールできないくらい、日に日に自信を失うようになっていきました。


私の中では20代後半からの片思いの期限は「1年」と決めていました。

1年間、できる限りのアプローチを尽くしてみて、駄目ならば諦めるというルールを決めていました。

それは、これまでの経験から1年以上一人の異性を好きになって想い続けることがどれだけ心身ともに負担が大きいことかを体感していたことと、経験上長年追い続けても成就につながる可能性は低いことを知っていたからです。

加えて前述したように、20代後半になると同世代達は次々とゴールインして行き、悠長に片思いを堪能できるような精神的余裕がなかったというのも大きな理由でした。

何よりも結果(付き合う)を重視しており、この結果第一主義を盲信していることで恋愛が空回りしていたことを後に学ぶわけですが、成就にこだわって結果を出そうとすればするほど上手くいかない恋愛のスパイラルにはまっていました。

頭では「執着してはいけない」「ここで押してはいけない」と言い聞かせていましたが、実際の行動を自制するのには毎度苦労しました。


頭での理解と心の動きというのはアンビバレントなもので、例えば片思いの期限を1年と定めていたわけですが、実際には2年近く追い続けた女性もいました。

「もう少し頑張れば付き合えるかもしれない」という期待と、「ここまで頑張ってきたから引いてしまったらもう恋愛のチャンスをつかめなくなるのではないか」という手放すことへの不安、費やした時間の多さから、「諦める」「諦めない」の葛藤に揺さぶられ続けていました。


一向に進展の兆しが見られないとしても、時は刻まれて行きます。

周囲を見渡せば、今まで恋人がいなかった同僚がマッチングアプリや友人の紹介によっていつの間にかカップリングしていたり、会社ではお子さんについてママさんトークで盛り上がっている姿が毎日のように目に入ってきたり、長年付き合ってきた恋人と結婚式を挙げるという同僚の具体的な話が耳に入ってくるなどして、疎外感と途轍もない焦燥感に駆られました。


特に飲み会では恋愛に関するテーマが定番なので、自分に話題を振られるのが苦痛で仕方がありませんでした。周りは恋人や夫婦と上手くやっている話が多かったので、同じラインに立てていない劣等感がそこでも表出しました。

嘘を言えない性格なので、「今、気になる人がいて頑張っています」と返すのがやっとでした。

事情も知らない周りの人間は応援してくれるのですが、決まって停滞片思い中だったので、どんどん追い詰められていくようできつかったです。
飲み会の帰り道は虚脱感に全身支配されていて、生きる気力を失われていたことが一度や二度ではありません。


こんなはずではなかった。なんで自分だけが上手くいかないのだろうか。


自分は恋愛ができない星のもとに生まれてきたのではないかと、運命を祟ったことや、悲劇のヒロインモードに陥ったことも数え切れないくらいあります。

20代後半にもなって付き合っていないこと、片思い止まりである事実を晒すのは、男として、人として負け組の証明になるからと、顔では涼しい表情で恋愛に苦労していないように繕っていたために、虚栄心が根強くなるのをブレーキするのを課題になっていました。


人は人、自分は自分だから、比較してはいけないとは言うけれども


恋愛指南本や先人のアドバイスでは、異口同音に見出しのメッセージを目にしますが、月日が経つほどそう割り切れなくなってしまう自分がいました。

当初は彼女がいたことがあるという実績からまだ余裕があるところもありました。
好きになれる女性も一年に一人はいたので、「今度こそは上手くいくだろう」という自信も最初の頃は後押ししてアプローチできていました。

ところが、一年、二年と時間が経過して、玉砕しては実ることがない現実と向き合い続ける中で、以前のような余裕も完全に焦りと不安へと変化しました。

どうしたら自分に自信を持てるのか、そして異性からモテるのか、正解が完全に分からなくなってしまいました。

道中、自分でも荒んだ精神に変貌していると実感する場面も増えて行きます。

5年以上も片思い止まりの停滞期から抜けられずに、あまりにも長い間恋愛が上手くいかないと、男としての自信を失って行くだけではなくて、幸せな人間を素直に認められない卑屈な自分に朽ち果ててしまうのを看過できずにいました。


モテる人間を分析すると、異性に必要とされ、認められることで自信を持つ。そうすると別の異性からも必要とされてますます自信が芽生えるという好スパイラルが成立するわけですが、私はまるで反対の状況にはまっていました。

それでも、好きな気持ちには嘘をつけず、何度挫けそうになっても時間をかけてチャレンジし続けてきた私ですが、こうして振り返られる段階に辿り着きました。

結果が伴わない片思いの連続で、いかに私が精神を保ってきたのか、脱却するためにどのような行動を重ねてきたのかを次回まとめて行きたいと思います。

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2019年5月27日

Posted by TAKA