第75回「失恋から立ち直れずに、すっかり自分を見失ってしまったら」 

2015年12月2日失恋した心に贈る


付き合っていた恋人に振られてしまったり、告白したけれども断られてしまった後に残るのは、自分でも処理できないくらいの悲しみと孤独の渦です。

失恋から立ち直るための具体的な方法やアドバイスは、インターネットや関連書籍でもたくさん紹介されていますよね。

新しく恋をする。
他に趣味を増やす。
ひたすら泣いて友達に語りまくる。
旅に出る。
髪の毛を切る。
相手の悪かった点を紙に書き出す。
時間が解決する。

新しい一歩を踏み出すための身近な手段を実践されることで、

「もう自分は大丈夫だ!」

失恋を過去の思い出として割り切って、生きる活力を取り戻せたらどんなに救われることでしょうか。

もう大丈夫と思っていても、ある時に、あの人にまつわる思い出の場所に足を踏み入れたり、本人に遭遇してしまったら、あの頃の想いがフラッシュバックしてしまい、

「やっぱりまだ自分はあの人のことが忘れられないんだ」

と落胆してしまうことも多々あるものです。

たとえ相手と付き合えなくても、交際が短期間だったとしても、相手を想う気持ちが大きければ大きいほど、そう簡単に気持ちをコントロールはできないものです。

かくいう私も今までに好きになれた人は、付き合えた有無に関わらず、完全に立ち直れたと実感できるまでには最低1年以上の歳月を要したものでした。

みなさんは失恋の悲しみに浸ってから、何日が経ったでしょうか。

もしかしたら、どれだけの月日が流れたか明確には覚えていないくらい時が流れているのかもしれません。

また、失恋から立ち直れたはずと自覚しているものの、今でも相手のことを思い出してしまう瞬間がある方もいるでしょう。
 
私も失恋の現実に直面して、苦しみから脱却するために、前述したような「失恋から立ち直るための方法」を実践してみたものです。

一瞬、「よし、もう大丈夫だぞ」と、かすかな希望が胸に宿るものの、しばらく経つと孤独感が押し寄せてきて、またいつもの弱い自分にリターンしてしまうことの連続でした。

頭では分かっていても、なかなか失恋の悲しみからは脱却できないものなんですよね。

夜な夜なあの人が夢に出て来たり、過ぎ去りし楽しかったあの頃の記憶がフラッシュバックしたり、前へ進もうとしても、あの人との歴史が消せなくて、そんな毎日が辛くて辛くて、いっそのこと消えてなくなってしまいたいと弱気になったものです。

会社や友人の前では「失恋で疲れ果てている自分」を晒すわけにはいけないので、何事もなかったかのように毅然と振るまったり、気持ちを紛らわすかのように明るい自分を装うのです。

そんな無理を続けていると、もう自分ではどうすることもできないくらい心がぱんぱんになってしまいました。

誰か助けて……。

気がつけば、食欲の低下から、体重は激減してしまい、喜怒哀楽のバランスが機能しなくなっている自分がそこにいました。

20代前半に失恋で沈んでいた頃は、自分でもどんよりとした感情を処理しきれずに、誰かに救いを求めるように渋谷や新宿などの人々が群がる繁華街に足を運んだものです。
  
何をするでもなく、街を徘徊したり、ハチ公前でじーっとスクランブル交差点で交錯する人々の姿を眺めていたりして、数時間過ごしていたこともありました。

しかし、そんな私に、


「どうかしましたか?」


などと、気にかけて声を掛けてくれる人間は皆無でした。

恐らく、客観的に見れば、魂の抜け殻のように映っていたでしょう。

ふと見渡す限り、街中で他人から声をかけられているのは、ナンパ目的の男性が声をかけている美しい容姿の女性やキャッチでした。

そんな私にこの日声をかけてきたのは2人でした。

 「ちーす、兄さんホストに興味がないっすかぁ?」

背後から忍び寄ってきたどこの馬の骨だかもわからない、いかにも怪しいスーツ姿の男性の勧誘と、
  
 「Hello,Men!1?2?」

麻薬の密売だと思われるような質問を投げかけてくる黒人男性だけでした。


誰も助けてはくれない。

ますます虚しさが増してきて、収穫もないまま帰路に着いたものでした。

こんな自分嫌だよ……。

あの頃の輝いていた自分を思い出せば思い出すほど、乖離してしまった今を生きる自分が、みじめで仕方がありませんでした。

  
そんな私でも乗り切ることができたのは、時間の流れと出逢いによってでした。

よく「時間が解決する」と言われますが、私の場合はただじっと耐えて時間に身を任せているのではなく、こうして失恋の経験を文章化して発信したり、同じ悩みに苦しんでいる相談者様のお話をうかがうことの連続から、徐々に徐々に「こんな自分でもいいんだ」と、自分らしさを取り戻して行きました。

悲しいのは自分だけではないんです。

そんな茨の道を歩んできたあなたの力を必要としている人間が必ずいるんです。

かつて、街中でひたすら人の流れを観察していた時に気付いたのです。
 
幸せそうなカップルや楽しそうに歩いている友人同士の姿だけではなく、目が虚ろになっていたり、憔悴しきった表情で下を向いて歩いているサラリーマンや、やつれた女性の表情が少なくはなかったのです。

何かに追い詰められて悩んでいたりして、一人で悪戦苦闘しているであろう人間が、ごく身近にもいる実態が伝わってきました。

人は一人では生きていけません。

失恋を体験したことで、一人で向き合うことの限界を何度も痛感しました。
  
みなさんの優しさを必要としている人がどこかにいるんです。

大好きだった人を忘れられなくて、あの人はもう自分の手には届かない別世界に去っていってしまったのですよね。

それでも、みなさんは今自分の人生を歩んでいます。

そして、忘れられなくてもいいんです。あれだけの大きな支えだったのですから、忘れられなくて当然なのですから。
  
傾注していた対象を、みなさんを必要としている何かに替えられた時に、忘れていた感情を取り戻せるかもしれません。

かつての私のように、口に出さなくて平然を装っていても、心の奥に問題を抱えている人間があなたの傍にいるかもしれません。

「どうしたの?力になるよ」

感受性豊かなあなたの気付きとその優しさで、未来は変わります。

2015年12月2日

Posted by TAKA