第225回「幸せにならなければいけない症候群に駆られていたら-その1-」
私が行っている相談支援という取り組みは、言い換えれば「どうすれば幸せになれるのか」という人生のテーマについて模索している生き方なのかもしれません。
幸せになりたいという切なる願いを秘めた相談者様と歩んできたこの11年でした。
「おかげさまで今、幸せです」という後日談を聴かせてくださる方もいらっしゃいましたが、「幸せになれない。何を頑張れば幸せになれるのか」という変わらない現状に苦しみ続けている方の声が上回っていました。
その度に、幸せになるための最良の方法は何なのかを考えるわけですが、そんな作業を繰り返していると、
そもそも幸せって言うのは何なのだろうか?
という、根本的な部分にぶつかるわけです。
先日、身近な人間の「死」を目の前にしたことで、改めて幸せとは何かについて頭を巡らせています。
私は、資格取得と恋愛成就の二つの専門分野を中心に支援を継続しているので、相談を寄せてくださる方の目的は、
「資格に合格すること」
「好きな人との関係が上手くいくこと」
という明確な目標を掲げていることが共通しています。
個々人の話をうかがっていると、
資格に合格することや恋愛が達成すること=幸せになること
資格に不合格になることや失恋すること=不幸になること
という対照的な思いを抱いておられる方が目立ちます。
もちろん、誰だって不合格や失恋は避けて通りたいですし、私だって何度も経験しているので、その痛みは安易に想像できます。
でも、合格や交際もしくは結婚を目的にして、それが叶った後に、
あれだけ苦労して、お金をかけて合格したのに、就職先に恵まれなかった。
ようやく付き合うことが出来たのに、心から交際を楽しむことが出来ない。
このような想像とのギャップに苦しみ、
「こんなはずではなかった」
と嘆いていらっしゃる方の声を聴くたびに、
そもそも、幸せというものはどこに存在するのだろうかという疑問さえ浮かんできています。
「幸福のパラドックス」という言葉をご存知でしょうか。
グレッグ・イースターリン氏が指摘した考えです。
人は、幸せを求めれば求めるほど遠のいていってしまい、幸せを追い続けているその瞬間こそが最も輝きを放っているというものです。
現代社会は世界屈指の豊かな国ですが、幸せであると感じている国民は非常に少ないと言われています。
2015年度版の最新の世界幸福度ランキングにおいて日本は、158か国中、46位に位置しています。
※ 経済学者らが国民1人あたりの実質GDP(国内総生産)、健康寿命、社会的支援、人生選択の自由度、汚職レベルの低さ、寛容度を変数として幸福度を割り出したものです。
この数字だけを見て、世界から見れば高いほうだと感じる方もおられるかもしれませんが、昨年度は43位だったので、幸福度が全体的に下がっている現状があります。
世界から見れば、これほど裕福な人間が多くて、物も豊富で、治安も良い国なのに、なぜ世界のトップ10に入れないのでしょうか。
「モノ」から「こころ」の時代になったと言われている日本では、必然的に幸せとは何かを感じさせられる時代に到達しています。
便利さ、豊かさによって心を病んでいる人間がどんどん増えている現状が浮き彫りになっています。
インターネットやスマホ、SNSの普及による影響がまさにその典型です。
いったい、幸せというものはどこにあるのでしょうか。
考えれば考えるほど答えが遠のいていくような迷路に彷徨いこんでしまいます。
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