第226回「幸せにならなければいけない症候群に駆られていたら-その2-」

2015年12月1日上手くいかない人生


ここで、幸せのあり方について考えさせられる『青い鳥』と『フランクリン理論』というものがあります。

童話、『青い鳥』では、「幸福は、追えば追うほど逃げていく」ことを私達に教えてくれる作品です。

そして、幸せというものは身近にあるものであることを説いていたのです。


幸せってやつはきっと傍にある 自転車こいでゆけるところに~。


これは、武田鉄矢が組んでいたバンドグループ海援隊が1999年に発売した「新しい人へ」という歌詞のフレーズです。

「3年B組金八先生」という番組の主題歌に使われていました。


ナチス時代の強制収容所に収容された経験もある、オーストリア出身のヴィクトール・フランクルという精神科医、心理学者は、

幸福は目標ではなく、結果と考えるべき

だとし、

自分のすべきことを見つけ、自分を必要としてくれる人の存在を考え、出来ることを行い、目の前のことに夢中になっているうち、いつの間にか幸福になっているものだ

と説いています。

確かに、何度も何度も失恋や再受験を繰り返して、ようやく念願叶った暁に歓喜の声をあげている方々は一際輝きを放っていますが、まさにそういう状態であるわけです。

自分を必要としてくれて、自分を活かせるような場所で、一生懸命に取り組んでいれば、必然的に良き出逢いや仕事が舞い込んでくるものです。

けれども、メンタルヘルス問題が叫ばれている今日の社会において、果たしてどれだけの方が仕事や人間関係を楽しめているのでしょうか。

給料のためとか、生活のためと割り切って、ストレスを抱えながらも忍耐を重ねた滅私状態である人間がいかに多いことでしょうか。

まさに、みなさん自身が現在そう感じていらっしゃるかもしれません。


私が最近経験した知人の死からは、お金を稼ぐこと、会社のために尽くすことだけが幸せではないと強く感じさせられました。

彼は「俺はこの役職は荷が重いし、誰からも必要とされていない」という自虐の発言も漏らしていました。

幸せとは、誰かに必要とされていること、自分を活かせることというフランクリン氏が掲げる前提条件が痛烈に響きます。

オーストラリアの病院に勤めるナースがまとめたこのようなレポートがあります。

死の間際に患者たちが語る後悔についてまとめたトップ5は以下のようになるそうです。

1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」

2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」

3. 「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」

4. 「友人関係を続けていれば良かった」

5. 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5


類似の作品でこのような一冊も存在します。

夢がことごとくかなわず、人生で何も残せなかった「私」。

年老いて、いよいよ死期が迫ります。

「ユメ」に促され、宛てのない手紙を書きます。

成功者でもなく、看取る家族も友人もなく、何のために、何を書くのか?

「夢を持つとかえって辛くなるだけだよ、やめとけ」でしょうか?

それとも、「人生、悔いのないように生きてください」でしょうか?

<Amazon説明文より>


目の前に忙殺されてしまい、自分にとっての幸せについて見て見ぬふりする人生を送っていて、臨終の場面で後悔することほど無念のものはありませんよね。

何が幸せなのか、どうすれば幸せになれるのかという万人に共通する明確な回答は私には導き出せません。

けれども、たとえ今幸せを感じられなくても、光を求めて欲しいと訴え続けます。

良い出逢いを求め、良い音楽や芸術に触れて、どんどん新しい挑戦を続けることを推奨します。

あえて苦しい環境に身を投じてつかみ取れる幸せもありますが、好奇心を追及する生き方からも、幸せを実感できるチャンスをつかめるはずです。

資格にしても、恋愛にしても、ドキドキワクワクできる何かに没頭した経験を持っている人間は、心の豊かな人生を送れるはずだと信じています。

2015年12月1日

Posted by TAKA