第178回「過去が塗り替わる瞬間は」

2015年12月1日実体験・人間考察コラム

忘れられない過去、記憶から消し去りたい過去、過去を塗り替えることができばどんなに楽になれることだろうか。

暗中模索を続けてきた20代の私の脳裏には常につきまといました。

上手くいかない片思い、上手くいかない人間関係、上手くいかない資格試験・・・・・・

このサイトの根幹にあるこれらの種は、他でもない私自身が10代から20代にわたって経験していることです。

そして私は2013年、30代に突入しました。

小学時代から上手くいかないことの連続でがむしゃらに生きてきた私ですが、時の流れは早いもので、すっかり“大の大人”と呼ばれる年齢になったのです。

30歳の誕生日を迎えたその日、肉体的には成熟したように見えても、心の中は未だにあの頃のまま時計が止まっている部分がありました。

それは、他でもない18歳から22歳までの4年間、私の大学生活です。

あの時代は、私にとって卒業してから8年経っていたのに、完全に払しょくできない過去の一つでした。

誕生日の後、私が取った行動は、過去の原点でもある、私の大学に足を運ぶことでした。

運命の悪戯かのように、その翌日に学園祭が開催される情報を入手した私は、何かを模索するかのように始まりの地に向かいました。

あえて過去をほじくりだして、苦しみを倍増させるリスクを負う必要はなかったかもしれませんが、私は心の声に従うことを選びました。

心は、あの大学への帰還を欲していたのです。

私は片思いに敗れた後も、失恋した後も、忘れられない思い出を蘇らせるかのように、再アプローチを重ねてきた人間です。

結果として成就しなくても、行動を起こすことによって、確実に心の切り替えにつながったり、新しい気づきを得ることができました。

今回、あえて忌まわしいはずの大学生活にリターンすることで、私の中で20代のけじめがつけられるような予感がしたのです。

キャンパスにたどり着くと、まるで入学式から卒業式までの時間が走馬灯のように脳裏を駆け巡りました。

もちろん、当時の友人や同級生の姿はそこにはありません。

入り口で実行委員会スタッフからもらったパンフレットを見ると、各サークルの出し物や顧問の名前が掲載していましたが、私が1年間在籍していたテニスサークルの名前はなく、知っている教職員のネームも一切載っていませんでした。

キャンパス内を見渡しても、10代後半から20代前半の若々しい学生たちの姿は、もはや私が在学当時の世界とは180度異なった新しい環境のように感じました。

この世界には、私の知る者は誰一人存在していないのです。

 
私は何とも言えない感情を抱えたまま、様々なサークルや部活が出し物を用意している教室棟(通称○号館)に入りました。

教室だけは当時と変哲はなく存在していましたが、そこで出店している学生達の姿を見ると、やはり別世界に足を踏み込んだ感覚が続きました。

数ある模擬店や出し物の中、私はお笑いサークルの教室に立ち寄りました。

サークルの部員達が、即興お笑いライブを披露してくれるというものです。

彼らは練習を積んできた成果でもあるオリジナルの寸劇を堂々と見せてくれました。

正直、爆笑するほどの内容ではありませんでしたが、不思議なことに感動を覚えている自分がそこにいました。

 
それは、彼らの姿から、本気度が心に伝わってきたからです。

 
私が在学していた頃には、同級生の姿を見て尊敬したり、キャンパス内で感動するような体験というものはほとんどありませんでした。

何のために授業を受けているのか、単位のためと割り切って漫然と生活を送っているようなあの日常だったのです。

 「大学はつまらない」が口癖になっていた私は、その大学の学生であることすら嫌悪感を覚えていたのです。

そんな私が平成生まれの若者達が汗をかきながら身振り素振りで表現している姿を見終えたときには、自然に拍手喝采していました。

劇が終わり、部屋を後にすると、出演したメンバー達が一人一人のお客さんに感謝の意を示してきました。

「僕らのライブを最後まで見届けてくださってありがとうございます!!」

何度も何度も頭を下げてくる彼らの眼差しに目をそらすことなく、私はとっさに「とてもよかったですよ」と心からの言葉をかけていました。

 
あのはにかんだ笑顔が脳裏に焼き付きました。

時間にしてたった30分程度の出来事でした。

でも、この8年という長い歳月私が抱え続けてきた大学への残像がかすむようになった体験でした。

ひたむきな現役大学生達の姿を知って、私はこの時初めて、大学を卒業したことを誇りに感じられたのです。

帰宅の途につこうと正門の入り口付近まで通りかかったところ、学園祭実行委員のメンバーが集合して、記念撮影をしようとしているようでした。

撮影者を誰にしようか話し合っているようだったので、私が名乗り出たのです。

一人のiPhone(カメラモード)を構えると、みな最高の笑みでポーズを決めていました。


「ありがとうございます!!」


撮影を終えると、本日二度目の感謝の言葉をもらいました。

ありがとうという言葉、本当は私こそ彼らに伝えたい気持ちでした。

当時私はとても狭い世界に閉じこもっていたのだと気づきました。

大学はつまらない。
心を通わせられる友人はいない。
最初の出だしに失敗したのが元凶だったんだ。

悪いところに目を向ければ全てが悪く見えるものだけれども、視点を変えればまったく別の可能性が展開していたのだと。

 
後輩からもらえた「ありがとう」の言葉は私の中で何度も反芻されました。

そして、振り返れば、当時の私にも同級生や先輩、教授からもらえた「ありがとう」の瞬間は確かにありました。

この日、原点回帰したことで、私の中で意識変化が起きたのは間違いありません。

 
今まさにそこで生活している後輩たちの生き様を垣間見れたことは、30代という新しい始まりのターニングポイントになったのだと思います。

たった一回の行動によって、ずっとずっと憑りついていたような呪縛から一つ解放されたような気分でした。

 
忘れられない過去、記憶から消し去りたい過去、過去を塗り替えることができばどんな
に楽になれることだろうか。

過去と現在は確実に変わっています。

環境、人間、自分の気持ち、全部含めてみんな移り変わって行くのです。
 

もしもこのコラムをご覧になっているみなさんが、過去に置物を残していたならば、一度勇気をもって後戻りして確認してみる行動も大切かもしれません。

もしかしたら、ずっと抱えてきた過去の残像が、向き合ってみることで、新しいビジョンに塗り替わっていくかもしれません。

哀しみにピリオドを打つ勇気を。

いつだって新しいスタートは切れるから。

私はそう自分に言い聞かせて生きています。

2015年12月1日

Posted by TAKA