第108回「飲み会やパーティーで、虚しさや孤独感が消えなかったら」

2015年11月30日上手くいかない人生

 
そもそも飲み会自体が苦手だけど、付き合いがあって断りにくいから、無理して参加するような体験はありませんか。

私も、仕事の飲み会、学生時代の同級生達との飲み会など、定期的に開催していますが、中には強い孤独感や虚無感が残る飲み会もありました。


今回は一つエピソードをあげて、飲み会から生じる虚しさの正体について考察していきます。

3年前、27歳の時に、大学時代の同級生が8名ほど集まった会がありました。



そのメンバーの中には、大学こそ同じものの、初めて顔を合わせる人間も数名いました。

いわゆる、友達の友達的なつながりです。

メンバー構成的には、私よりも年上の年齢が5名以上もいて、全員社会人でした。

全員集まった後の乾杯を皮切りに、テニスサークルの飲み会を彷彿とさせるような体育会系ノリのどんちゃん騒ぎが始まりました。


この空気、居心地が悪いなという思いが芽生えるまでに、時間はかかりませんでした。

私は、気が合って信頼している仲間と少人数で行う飲み会はリラックスして臨めるのですが、大人数かつ面識がなくてハイテンションなノリの集合体である飲み会は、苦手でした。

もともと自分の性格上、相手を知ってからでないと、自を出せるタイプではなかったので、今回のようなアウェー的な飲み会では自分から話を振らずに、終始聴き役に徹することにしました。


台風が過ぎ去るのをじっと耐え凌ぐような気分でした。

恋愛ネタ、仕事ネタや、身内ネタ等、色んなトークが飛び交いましたが、表面上では笑顔で振舞っていたものの、一刻も早くこの時間が過ぎることを願っていました。

自分の存在がないようで、とてつもない孤独感と空虚感に襲われました。

2時間が永遠の時の様に感じましたが、忍耐の末にようやく終わった後には、途轍もない疲労感に襲われました。

帰りの電車の中では既に筆舌に尽くしがたい虚しさが残りました。

いてもたってもいられなくて、夜道を独り歩きながら、衝動的に旧友に電話をかけました。


自分の存在意義を確かめるために、駆り立てられたのです。

旧友はそんな私の愚痴を黙って聴いてくれて、ありのままの自分を受け止めてくれました。

本来の自分を感じられるようなリラックスした時間でした。

自分をブレーキしたり、見失ってしまう環境にいる時ほど、苦痛なことってないんですよね。

もしかしたら、一見飲み会で楽んでいるように見えるあの人も、心のどこかでは私のように孤独感を覚えているのかもしれません。

それを表に出してしまうと、KY的な扱いから、場がギクシャクするから抑えているわけであって、本当は心の声を聴いて欲しいのかもしれません。

飲み会の場では、自分をネタにして、とにかく声に出さないと気が済まないような人間がいるものです。

そんな中、聞き役として相手の話に耳を傾けられる存在は貴重なんです。

人は誰だって自分の話を聴いてもらいたいものですから。

不満たらたらな面でその場をやり過ごすよりも、周りの人間の幸せのために、「聴く」という根気強い作業を行える人間は、大切にされるのです。

もしも飲み会終わった後、みなさんが拭いきれないような苦しさに心が参っていたら、自分がもっとも信頼している人間のもとを訪れてみてください。

周りの顔色をうかがう必要もない、本来の自分を感じられるはずです。


2015年11月30日

Posted by TAKA