福祉住環境コーディネーター2級試験を受けてきました


7月7日の七夕デーに、福祉住環境コーディネーター2級試験を受検してきました。

この資格を知ったのは、仕事でかかわっていた外部業者の方の名刺に、「福祉住環境コーディネーター2級」と書かれていたことがきっかけでした。

調べてみると、福祉と建築がミックスしたようなカリキュラムだったため、宅建+社会福祉士取得者の私のやる気スイッチがONしました。

今回は第30回、かつ7月7日という数字的な縁起の良さからも一発合格を目標に掲げてスタートしました。

ところが、あまり大きな声では言えないのですが、実質的に試験勉強に費やした期間は1週間ほどでした。

総勉強時間にすると15時間ほどでしょうか。

なぜこんなお粗末な結果になってしまったかというと、4月から仕事の拘束時間と仕事量が増加したことが一番の要因でした。

往復の通勤電車内と、祝日を使って取り組むほかなくて、ギアが入ったのは試験直前の7月に入ってからとなってしまったわけです。
使用した問題集は、『福祉住環境コーディネーター2級まるごと過去問題集〈2013年度版〉

と、
これだけ覚える 福祉住環境コーディネーター検定試験2級一問一答+要点整理 ’13年版


の2冊でした。

最初に手にしたのは、一問一答式の方でしたが、社会福祉士試験の受験勉強同様、私の場合はこの手の物を主戦力にするのは相性が良くなかったため、『福祉住環境コーディネーター2級まるごと過去問題集〈2013年度版〉』1冊だけで勝負することに決めました。

決め手は、過去10年分の問題から頻度別に構成されていて、見開き式であることと、解答にはイラストがふんだんに取り入れられて、専門用語や細かい数字を視覚的にマスターできることでした。

全部で約150問+最新過去問(第29回)+予想問題3回分という問題量の少なさでしたが、「1冊マスターできれば合格できる」という過去の経験を信じて、ラスト1週間集中的に取り組みました。

宅建、社会福祉士、メンタルヘルスマネジメント試験等で共通している一問一答学習法で、反復学習に臨みましたが、最終的には予想問題3回分までは取り組めませんでした。

あくまでも、過去問だけを3往復するような形に留まりました。

正直、3月に受けたメンタルヘルスマネジメント試験以上に学習量が少なかったので、不合格になってしまうかも

しれない可能性が脳裏にこびりついていましたが、申し込んだ以上逃げずに受検することに決めました。

危機感とは反面に、「もしかしたら受かるもしれない」という希望的観測もかすかに湧いていたのです。

本日午後に、商工会議所で受検してきましたが、老若男女年齢層広い受検生で埋まっていました。

私が受検した会場では、見たところ受検者数は70~80人くらいでした。

試験案内開始までには、各々のテキスト・問題集を開いて、最後の確認をしている方も多数いましたが、私と同じ問題集を使っている人間は皆無でした。この点は社会福祉士試験の時と同様です。

いざ問題を開いてみると、ほとんどが過去問から出てきたものばかりでした。

社会福祉士試験のように、問題集に載っていないようなマニアックな問題や、捻ったような出題はほとんどなくて、どこかで目にしたような問題が揃っていました。

「最も不適切なものを1つ選べ」という形式が多かったため、選択肢の日本語表記に注目すると違和感があって、それだけで解けるような問題も複数ありました。

また、宅建や社会福祉士と科目がかぶっている点もあり、かつての知識が応用できて解答できた点も大きかったです。

この試験は全体的に見て、一般常識と日本語解釈の観点で解ける問題が多いと感じました。

さて、そうは言っても試験の出来からして、6割くらいのものでした。

この試験は7割以上が合格ラインなので、やはり1週間での勉強量では無理があったかもしれないと痛感しました。

ネットの声では、合格者は1~3か月ほど勉強したという体験談が多かったので、さすがに事前準備が少なすぎたかもしれないと反省しました。

それでも、使用問題集を3回転という最低限のノルマは達成できたので、これで落ちてもまた次回の11月に受検しようと考えていました。

ユーキャンの解答速報で、19時までには前回解答が揃いました。

今回は、複数正解になるかもしれない問題が2問、問題不成立になり得る可能性がある問題が1問ありました。

実際に第29回試験では2問そういった処置がされたようです。

その3問を除いても、自己採点の結果は約8割の出来具合できました。

メンタルヘルスマネジメント検定の受検時と同じような結果です。

この学習量では不安だらけでしたが、合格していたらやっぱり嬉しいものです。

結果は来月中旬に届きますが、七夕の日にかこつけて、合格祈願を込めました。

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恩師との再会を経て


第141回コラムにて、私の恩師との11年ぶりの再会について描きましたが、その恩師が不定期で発信されているメルマガにて、以前私のことを紹介してくださったことがありましたので、この場を借りて載せたいと思います。

—以下引用—

 

僕も高校の先生として仕事してもう14年になります(4月で15年目に突入)。
先生、教師という仕事は出会いと別れを繰り返す仕事です。
毎年、約100人との新しい出会いがあります。
こんなに出会いと別れを繰り返す仕事も珍しいかもしれません。

そんな中、毎年何人か僕を気に入ったと言ってくれる生徒がいます。
中には、卒業後も親交を持ち続けてくれる人もいます。
中には、教え子というよりは同志と言ってもいいような、
熱い心を持った生徒もいます。僕から沢山の事を吸収してくれて、
僕がやることに的確な意見をよせてくれるので、とても信頼しています。

そんな中、「ラブステーション」というサイトを開設して、
多くの人を救い続けている「TAKA氏」という教え子がいます。
http://www.lovesute.com/
サイトを見ていただければわかるのですが、本当に多くの人を救い、
多くの人を助け、多くのことに挑戦しています。
1人の人間にここまでのことができるのだろうか、というくらい活動しています。
みなさんも、もし困ったらTAKA氏の誠実さに触れてみてください。

僕が彼と直接過ごした時間は本当にわずかなものでした。
彼が高校3年生の時、週4回現代文を教えただけです。
礼儀正しく、声も大きくて、おしゃれで、しっかり話を聞いてくれる彼は
とても印象的な生徒でした。成績も優秀で常にクラストップの成績を収めていました。
ただ、彼が卒業した後は、まったく連絡をとっていませんでした。
しかし、去年いきなり彼から連絡があり、会って話をしようということになりました。
その時の内容を彼はコラムに書いてくれたので、転記させていただきます。
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第141回 「11年ぶりの再会が教えてくれたもの」 2012年11月26日執筆

今回は、個人的な体験コラムになります。
先日、高校時代の恩師とも呼べる先生と、11年ぶりの再会を果たすことができました。
誰しも、あの言葉があったから、あの人がいたからここまでやってこれたという、
大きな出逢いがあるとは思いますが、
私にとってはその先生の存在があったからこそ、逆境を乗り越えることができました。
最初の大学生活で、それまでの価値観を180度変えるかのような都会の流れに身を投じていた私は、
どこかで無理しているもう一人の自分を演じていることに気付いていたけれども、
行動を共にしている集団の群れから離脱できずに、仮面を被って日々を過ごしていました。
心の中では、常に孤独を抱えていて、「こんなはずではなかった」
「最初の入り口に失敗していなければ」と、後悔と絶望に押しつぶされそうになっていました。
自分でもどうしたらこの日々を改善できるのか、活路を見失っていて、
自分を救ってくれる人を渇望していました。
実際に、そんな都合の良い存在はいなかったからこそ、
理想と現実のギャップにますます失望していくようになっています。
暗中模索の最中、私を明日へと奮い立たせる原動力として、
胸の中に残っているあの時の言葉が残っていました。
そんな堕ちていた自分の心の中にも、高校3年次に、
現代文を教えてくれた先生の言葉がエンドレスに流れ続けていました。

「死ぬな。生きろ。
もしも人生が辛くなって、どうしようもなくなったら、俺に電話してきてほしい。
どんな遅い時間でも良いから。」

最後の授業で先生が残してくれたその言葉が、
絶望の渦中をさまよい続けていた私を照らす羅針盤となっていました。
その先生は、当時26歳という若さで、
教育の世界に身を投じて2年くらいしか経っていませんでしたが、
これまで出逢ってきた教員とは違った光を放っていました。
受験のテクニックや教科書に沿ったお決まりのカリキュラムに徹する教育方針ではなくて、
生きること、希望を持つことの大切さを教えてくれる教材を扱って、
大人に成長していく上で役に立つ、心の授業に力を入れていました。
私は、その先生の影響から、国語の教員免許取得を目指していたのもありました。
私がこうしてサイトを立ち上げてやってこれたのも、
先生から感銘を受けたことが原動力になっています。
結局、私はその先生に電話をかけることはしませんでしたが、
その後道に迷った時、いたる場面で、その先生の言葉や
授業を思い出しては、自分を鼓舞していました。

それから10年以上の月日が流れて、先生と再会を果たすことができました。
きっかけは、ネット上のある場所で、先生の実名を入れて検索したことで、
本人だと思われるページにたどり着くことができたことです。
実は11年間、ネットや同級生からの情報を頼りに探し続けていて、
働いている職場までは知ることができたのですが、
本人とコンタクトを取る術は見つかりませんでした。
そうして11年越しの思いを凝縮したメッセージを送ったところ、
予想だにしない展開が待っていました。
先生が電話をかけてきてくれたのです。
先生は当時のことをよく覚えてくれていて、
私が先生に感謝の気持ちを伝えていると、
先生の方からぜひ逢って話したいと提案してくれました。
11年ぶりに再会した先生は、当時のイメージと変わらずに、
親しみやすくて、同じ目線で話してくれるような温厚なお人でした。
今でも高校生達に教鞭を執っていて、日々奮闘されているようでした。
先生は、

「教員生活を送っていると、正直10あるうち、8は辛くてしんどいことの連続なんだ。
でも、たまに2つくらい良いことがある。
こうして再会できたのは神様のご褒美で、
教師冥利に尽きるとはまさにこういうことを言うんだね。」

と、ありがたい言葉をかけてくれました。
先生との思い出話から現在の仕事に至るまでの話は尽きることがなくて、
あっという間に4時間以上が経ってしまいましたが、最後にお互いこう固く誓いました。

「お互い置かれている立場は違うけれども、
これからも生きることの大切さを伝えていこう!」

ずっと探し求めていた恩人との再会を果たして、
私は、「行動を移すことの大切さ」を改めて実感しました。
もし、「どうせ今更連絡しても、10年以上昔の人間に対して、
わざわざ相手にしてくれるはずがない。今の生活があるのだから」と、
勝手な憶測を立てて諦めていたら、今回のような流れにはならなかったでしょう。
やってみなければわからない。
自分を大切に思ってくれる人や、当時苦楽を共にできた人間は、
たとえ数年の月日が流れていても、また交流することができることもあるのです。
私は、その数日後にも、音信不通になって、
連絡を取る手段をなくしていた高校時代の友人とも
10年ぶりに再会することができました。
やってみてから、また考えればいいんです。
私の実体験を読んで、みなさんの中で一歩踏み出す何かのきかっけとなれば嬉しいです。
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こうやって転記していると、
「これ、本当に僕の話なのか?!」と思うくらい、
TAKA氏の中では美化されている気がします(汗)
(思い出は美化されますからね(笑))
でも、彼と11年ぶりの再会を果たし、語った時に、
同じ心をもったまさしく「同志」だと感じました。

TAKA氏もまさしく、僕から「志のバトン」を受け取って、
多くの人々を救い、励ましてくれています。
多分、僕が死んでも困る人は10人もいないと思いますが、
TAKA氏が死んだら、「ラブステ」に訪れた何万人もの人が涙を流すのでしょう。
そういった意味では、まさしく「青は藍より出でて藍より青し」です。
不出来な教師でも、弟子が立派であれば、自信になるし、自慢できるんですね(笑)

—ここまで—

恩師との再会はまさに運命的かつ奇跡的のように思えました。

でも、心の中で宿っていた恩師の存在が長年の歳月を経て再会を果たすことができた時に、とても自然のように感じられました。

まさにご縁の世界でしょうか。

自分の言葉は必ず誰かに届いている。

今は何の変化がないように思えても、後で返ってくることもあるのです。

私は恩師との再会で再認識させられました。