第316回「NOの連続にもめげずに人生を大逆転させたアメリカの有名俳優の話」
「ワシが作ったおいしいフライドチキンでみんなを幸せにしたい」
という情熱と信念で1009回ノーを突きつけられても、諦めずに実現させたカーネル・サンダース。
第292回「1000回断られても折れない心 カーネル・サンダースの生き方から」
さて、アメリカの有名映画俳優でも、想像を絶するほどの苦境にめげずに初志貫徹させた男性がいらっしゃいます。
その名はシルヴェスター・スタローン。
代表作は言わずと知れている
です。
今年の12月23日公開予定のロッキーの続編である『クリード』が話題作の一つとしても注目されています。
来年で70歳になりますが、肉体を鍛えつつ現役でアクション俳優として活動を続けています。
そのシルヴェスター・スターローンが1976年にロッキーでアカデミー賞最優秀作品賞を受賞して、一躍時の人として栄光を手にするまでに、障害と貧困に苦しみながら度重なる試練を乗り越えてきたのです。
これから彼が鮮烈なデビューを果たすまでの半生をまとめてご紹介させていただきます。
★幼少時代から高校時代まで
⇒生誕と同時に、言語障害というハンディを負うことになる。
出産時に産科医が鉗子の扱いを誤り、顔面の左側(特に唇、顎、舌)の神経が傷つけ られたため、言語障害(舌足らずな発音)と下唇の下垂という症状を抱えることになります。
口びるや舌、あごに部分的なマヒが残っており、彼の発音には不明瞭なところがあります。
そのため、コミュニケーションが上手く行かない部分もあり、幼少時代からいじめを受けるようになったそうです(今でもトラウマとして残っているようです)
内向的な性格になってしまい、空想に耽ったり、漫画や映画の世界に傾注するようになりました。
彼の両親は長い間関係が悪く、喧嘩が絶えない日々だったようです。
12歳の時、ついには離婚するようになりますが、彼は不良の道を選ぶようになり、学校からも何度も処分を受けるなどして、荒れくれた思春期を送っていたようです。
高校時代には、フェンシングやフットボール、陸上競技の円盤投げに打ち込んでおり、母の運営するボクシングにも打ち込んでいたようで、アクションスターの下積みはこの頃から培われていたようです。
15歳の頃には、母親と新しく再婚した夫と一緒に暮らし始めたそうです。
★大学中退から俳優を目指してオーディションを受け続ける日々
高校を卒業した後、彼はスイスにあるアメリカン・カレッジの奨学金を受けることになります。
そこで、陸上の女子のコーチを引き受けて指導する日々を送っていました。
演劇も勉強し、大学で製作されている演劇、「セールスマン、アーサー・ミラーの死」で主役を演じたりもしました。
その後、アメリカに帰国して、マイアミ大学で演劇の勉強を始めます。3年間同大学の演劇学科で学びましたが中退します。
本格的に俳優の道一本に絞って新たなステップを踏もうとするのですが、オーディションを受けても受けても結果はNOの連続。
合計で54回も不合格を経験しています。
ここでも顔面麻痺による演技力の限界や、 あまりにも典型的なシチリア人の風貌のためというのが影響したようです。
ついには、家賃も払えず、アパートから追い出され、ニューヨークのバス停で何週間もホームレス状態を続けながらオーディションを受け続けていました。
★脚本を映画会社に売り込んでアプローチを変えてみる
生活費を捻出するために、用心棒やエキストラのような脇役やポルノ映画まで出演して、なんとかお金を貯めて小さなアパートを借ります。
しかし電気代が払えず、部屋の中が寒すぎたため、暖房設備がある図書館に通っていました。
そこで彼はエドガー・アラン・ポー(小説家)の本に出会い、ライターのセンスを磨いたようです。
どんなに貧乏でも、結果が出なくても、彼は俳優道を諦めませんでした。
ここまで先の見えなくて困窮生活が続いていれば、夢を諦めて、他の職業に転職するという選択もあったのですが、ここで挫折したら、二度と俳優にはなれないという並々ならぬ覚悟があったようです。
彼と愛犬はニューヨークからカリフォルニアに引っ越しますが、そこでもまったくオーディションには受かりませんでした。
ここで視点を変えることとなる転機が訪れました。
29歳のある夜、彼はモハメド・アリ対チャック・ウェップナーのボクシングマッチを観ます。
ウェップナーはアリにぼこぼこにされているのにもかかわらず、どんなに打たれても前に進みました。
それに感動した彼は家に戻ってスタローンは3日間、家にひきこもって脚本を書き上げました。
そして出来た作品をにスタジオに打ち込みに行きます。
それこそがまさにロッキーの原点になるわけです。
けれども現実は非情です。
そこで待っていた返事はおなじみの「NO」。
来る日も来る日も映画会社に通っては売り込みますが、NOの連続でした。
オーディション時代と併せて1000回以上NOを突きつけられたという説もあるくらいです。
ロッキーの脚本は馬鹿にされてけなされていたようでした。
売り込み生活は数ヶ月以上に渡り、所持金はほぼゼロに。
一日の食事は缶詰一缶を愛犬と半分ずつ食べていました。
ついに、彼は断腸の思いで、相棒である愛犬を売ることにしました。
50ドルで愛犬を手放した後、彼は大泣きで崩れ落ちたようです。
そこまでしても俳優道をドロップアウト出来ませんでした。
★そしてようやく訪れたターニングポイント
飲食が出来ないほどの極貧生活でしたが、彼はオーディションを受けながら、脚本を売り込み続けました。
もちろん誰も見向きもしてくれませんでした。
絶望しそうになったある日、いつも通りにオーディションに落ち、部屋を出て行こうとしたところで、脚本のことをプロデューサーたちに何気なく語りました。
その脚本を見たプロデューサーが彼の人生を大きく転換させることになります。
その脚本を読み、大絶賛し、$25,000のオファーを出します。
その映画会社はその脚本を買い取り、当時の大スター、ロバート・レッドフォードを主役にして大作を作るのがねらいでした。
しかし、彼はここに来てあの言葉を口にします。
NO!
彼はそれだけの大金を提示されてもOKサインを出さなかったのです。
最終的には、$360,000もの好条件を提示されましたが、彼は変わらずNOを突きつけます。
実は彼にとってこれほどの巨額は耳にしたことがなくて、その価値が分からなかったと後に語っていますが、彼がこだわり続けたのはお金ではなくて、自分が主演男優として映画に出場することだったのです。
そしてその後、契約金額はガクッと下がりましたが小さな映画会社に主演俳優として出演する事になるのです。
映画会社もついに折れて彼が主演での制作を決定しましたが、制作費はかなり低予算でした。
脚本は$35,000で買い取られることになりました。
最初は数ヶ所の上映でしたがその面白さが口コミで拡がり大ブームを起こします。
そしてこれがあの名作「ロッキー」の誕生です。
主演男優賞、脚本賞、最優秀作品賞を総なめにして、一躍大スターへ駆け上ることになりました。
ちなみに、映画会社との契約によって大金を手にした彼が真っ先に使ったお金の使い道は何だったと想像しますか?
それは、苦境をともにした相棒であるあの愛犬を取り戻すことでした。
3日間かけて探し続けた末に、やっと見つけることができ、飼い主に事情を説明しました。
当時50ドルで売った愛犬を150ドルで買い戻したいと。
しかし、飼い主は断ります。
けれども彼は食い下がりません。
数週間、飼い主と交渉した結果、最終的には3000ドルで買い戻しました。
売り手の飼い主を「ロッキー」に出演させるという条件を加えて。
以上、シルヴェスター・スターローンがロッキーで栄光をつかむまでの紆余曲折な半生を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
彼のぶれない信念と、目標を達成させるために第三者にあしらわれようとも、試行錯誤を重ねながら挑戦し続ける行動力は目を見張るものがありました。
自分にはこの道しかないという覚悟と、なんとしても成し遂げたいという情熱が融合して継続した末に、誰もが予想出来ないような展開が待っているものですね。
自分の目標や夢について再認識させられる半生でした。
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