第44回「孤独を愉しむ」

上手くいかない人生


例えば休日の過ごし方を取っても、恋人と過ごす時間と一人で過ごすのでは、同じ休日でも密度が違いますよね。


私は一人の男に縛られるよりも仲の良い友達と過ごしたり、趣味や仕事に生きる方が楽しいわ。
 
俺は一人で過ごす方が気が楽だし充実してる。


という風に、世の中には十人十色の考え方があるので、一概に「恋人と過ごす休日の方が楽しい」とは言い切れませんが、殊に失恋直後であったりすると、話は変わってくると思います。

恐らくこのコラムを読んでいる方の大半が大好きだった彼または彼女との離別を体験されているでしょう。

失恋の不条理なところは、失恋後の振った側と振られた側の時間軸が対極なところですよね。

   冷めた
   喧嘩別れ
   好きだけれど別れざるを得なかった
   他に好きな人ができた
   完全に嫌いになった

    etc……

別れた原因は一様ではないですが、大抵は振った側のエゴイズムによって、振られる側は別れを受けざるをえないようになったのではないでしょうか。

振った側は、直後は罪悪感や葛藤に苛まれるものですが、既に気持ちの整理がついて自分から切り出したのだとしたら、大抵は引きずらずに、心機一転手の届かない遠い世界へ旅立って行くものです。

ところが、好きな人はもう二度と戻ってこない一人ぼっちの世界に置き去りにされた振られた側は、これまでの幸せな生活の影に潜んでいた孤独と、とことん向き合うことになります。

一ヶ月、三ヶ月、半年、一年……

どれだけ時間が経っても、脳裏からあの人との濃い思い出が消え去ることがない。

独り街を歩いると、目の前には手をつないでいるラブラブカップルが進路を阻んだりして、心のヒリヒリが倍増します。

別れを告げた側はもうとっくに違う生活を歩んでいるのに、どうして自分だけが過去にとらわれていなければならないのでしょうか。

自分の力ではどうすることも出来ない失恋の理不尽さを噛みしめるしかないのでしょうか。


第44回コラム「孤独を愉(たの)しむ」


今回のこのタイトルはまさに寝耳に水に聞こえたでしょうか。

私が上記のようなタイトルを名付けたのは、孤独について一度多角的に見つめ直していただきたかったからです。
    
コラムのタイトルに使われている"たのしむ"を"楽しむ"とせずに、常用外の"愉しむ"を用いたのも、常識から外れた違った見方のきっかけ作りにになれればという願いからです。

一刻も早く孤独から抜け出したいのに!!

もう独りで苦しむのはたくさんだ。

今すぐにでも誰かに縋りたいのに、敢えて孤独を愉しめだって?

辛いから楽になりたいんだよ……



確かに、1日24時間の中で、睡眠時間以外は絶えず孤独を痛感してるのに、どうしたら孤独を愉しめるかなんて、そう簡単に考えられるはずもないですよね。
 
では、どうして孤独になることをそこまで恐れてしまうのでしょうか。

そして、どうすることで孤独から開放され心が安定されるのでしょうか。

孤独はマイナス要素だけで、意義がないのでしょうか。



上記3つの問いを、「3分以内にそれぞれ論理的に答えよ」と言われたら、答えに詰まってしまうのではないでしょうか(少なくとも私はそうです)。

孤独は心の問題ですから、感情を言語化するのってなかなか難しいですね。

その上で私なりに先の命題を改めて考えると、

・どうして孤独になることをそこまで恐れてしまうのか

→だいたい独りになるとろくなことを考えない。過去のトラウマや先の見えない不安など苦しくて夜眠れなくなる。

→独りって寂しいよ。やっぱり人間独りじゃ生きていけない。もう独りはこりごりなんだよ。

→だって、今まさに自分が孤独を実感しているんだから、他の理由はないでしょ。

・どうすることで孤独から開放され心が安定できるのか。

→そりゃ愚問でしょ。元恋人とヨリを戻せれば、孤独なんて一気になくなるに決まってるよ。

→やっぱり失恋が原因だから、新しい好きな人が出来たらかな。

→親しい友人と一緒にいる時だよ、唯一気が紛れるのは。

→正直、どうすれば良いかもわからない。

→好きなことに熱中している時だけかな。

・孤独には意義がないのか。

→そんな事考えたこともないし、意義なんてあるのか。
 
→そういえば意義と意味の違いって……何?

→全ての物事には意味があるはずだから、きっと孤独にも何か価値があるのかもしない。

あっ、平原綾香の「Jupiter」の歌詞の中に「愛を学ぶために孤独があるなら、意味の無い事など 起こりはしない。」っていうフレーズがあったな。
 
もしかして孤独は愛への登竜門なのかな。

以上、独断と偏見でいくつかの回答パターンを用意してみましたが、果たして孤独=ネガティブで避けるべきものなのでしょうか。

確かに、大好きなことに没頭していたり、大好きな人と一緒にいる時間は我を忘れるくらい居心地が良かったり、精神がもっとも安定している瞬間の一つだと思います。

しかし、その時間が長かろうが短いが、誰もが必ず孤独と対峙しなければ行けないような時がやってきますよね。

どんなに大好きな人でも、どんなに夢中になれる対象でも、24時間欠かさず共有する事は不可能なのです。

もし、仮に365日どんな時も常に一緒になれたとしたら、今抱えている孤独は解決するのでしょうか。

答えはNOではないでしょうか。


この機会に敢えて自分一人の孤独な時間について見つめ直してみませんか。
 
当り前の中に、新しい発見があるかもしれません。

孤独の時間に取り組んでいる具体的として、

   ・読書
   ・TV・映画鑑賞
   ・インターネット
   ・ゲーム
   ・トレーニング
   ・ショッピング
   ・勉強


などがありますが、独りでなくては集中して打ち込めない対象物であったりするものです。

そうやって独りの時間に培った知識と見解が、他者とのコミュニケーションのきっかけや、実りある人生に繋がります。


「昨日ネットで面白いサイト見つけたよ」
 
「新しくなったUFJに今度一緒に行こうよ」


一人で過ごす空間と集団社会への帰属をバランス良く往復することで、彩りのある人生を送れるのではないでしょうか。


孤独とは、集団の世界においても実家するものです。


職場の中の孤独
仲間の中の孤独
学校の中の孤独


他者との交流においても、自分の居場所すら見出せない現実も多々あります。
 
幸せいっぱいの人間に触れることで、かえって孤独感が増してしまうこともあります。

   
もし失恋から立ち直れずに、どうしようもない孤独に苛まれて明日を見失っていたとしたら、なかなか新しいきっかけを見出すのは難しい状態かもしれません。


私自身も常に孤独と隣り合わせで生きており、切っても切れない関係です。
 
ですが、その孤独を原動力にサイトを立ち上げて、莫大なサイトからピンポイントにこのコラムに足を運んでいただき、読んでいただいている奇跡に、孤独がもたらす大きな恩恵を感じております。

失恋直後は「孤独を愉しむ」なんて発想は間違っても湧かないでしょうが、愛を学ぶために、そして再びあの笑顔に巡り合えるその日まで、一人の時間にどっぷり浸ってみませんか。

Posted by TAKA