第136回「私も忘れることができない過去を背負って生きています」その6

2015年12月1日実体験・人間考察コラム

◆サイト活動開始から、大学卒業の他大学入学まで


私が恋愛や人生に悩む方をサポートする活動を開始したのは、大学3年の初夏頃からでした。

アキラへの償いに加えて、度重なる失恋体験を昇華するために始めたのがきっかけです。

当初はまさか10年以上も続くことになるとは、予想にもしませんでした。

私は、K大学を卒業した後、ある特定の科目を履修できる科目等履修生制度を使って、都内のW大学に進学しました。

W大学は日本で二番目に大学生の数が多いマンモス大学です。

学生の多さもさることならがら、学生達のモチベーション、士気の高さが半端なかったのが特徴でした。

私が一度目に卒業したK大学では、第一志望校に不合格になってしまって、不本意ながら入学した学生達も多く、 「自分はMARCHに行きたかった」と、ぼやいている同級生の声をよく聴きました。

そして就活の時期が近づくと、筆舌に尽くしがたいほどの無気力感や絶望感に浸っている先輩・同級生が多々いました。

彼らの発言を耳にしていると、就活戦線において、自分達の学歴に負い目を感じているようでした。

もちろん、学生の中には、自分のやりたい道を見つけて第一志望の就職先に就く者もいましたが、自分の周りでは少数派でした。


私がW大学に入学後、心に残っている場面があります。

ある晩、大学の最寄り駅にある広場で、学生達が肩を組んで校歌を唄っていた場面を目撃したことです。

傍から見れば、奇妙な光景にも思えたでしょうが、私にとって見たことがない愛校心の高さに感嘆しました。

私はかねてから興味があった教育学を履修しました。

K大学在学時に、高校教諭免許を取得するために、教職課程を履修していたのですが、学科の文学科目よりも、断然教職科目の方が楽しかったですし、内容に興味を持てたからです。

自然に将来は、教職への道に進みたいと思うようになりました。


W大学は、やる気がある学生をサポートするための様々なインフラ・ボランティア・企画が充実していました。

私は入学後に留学生達をサポートする日本語学習ボランティアと、都内の小学校に学習指導員として職員の仕事を得ることができました。

この二つの出逢いが、その後の私の人生に大きな影響を与えました。

多国籍の留学生達に、日本の文化を紹介したり、母国のことを教えてもらう異文化交流がこれほど楽しいものだとは、想像もつきませんでした。

結果として大学院含めて3年間ボランティアを続けるようになり、そこで出逢った留学生達と今でも交流を続けている仲にまで進展することができました。

TAKA氏さんは、日本語を教えるのがとても上手です!

と、覚えたたての日本語で留学生達が評価してくれたことで、人に必要とされることの快感を覚えるようになりました。


W大学で出逢う学生と教職員は、誰しもが志し高くて、尊敬できる人間がたくさんいました。

ここでの学びと出逢いは、これまでの鬱屈としていた4年間が嘘だったかのように刺激に満ちていて、往復5時間かけても通う価値がありました。

私は、最初の大学生活4年間で失われていた青春を、W大学での新世界で取り戻そうと躍起になっていたのです。

他方小学校で知り合った職員の方から、次の仕事をあてがっていただき、その後教育・福祉分野に7年間従事することができました。

こうして、自分が興味がある世界に挑戦してみると、縁が縁を呼んで、次々と新しい世界が広がっていったのです。

   
人生諦めてはいけない。求めれば、自分に合う世界や自分を必要としてくれる人間が必ず存在する。


私は、出逢いの大切さを身を持って知りました。

2度目の大学のエピソードはまた別の機会に詳しく紹介したいと思います。


そして3度目の大学である福祉大学に進学した後も、経験豊富で素晴らしい志を持つ仲間に巡り合えました。

今もサイトを通じて、良縁を探し続けています。

新しい環境の中でも、アキラや過去の自分を完全に忘れてしまったわけではありません。

目を瞑れば、今でも当時の記憶がフラッシュバックすることが多々あります。

でも、過去はもう取り返しがつかないこと割り切るようにするしかありません。

この過ちを繰り返さないように未来に活かして行こうと努めています。


私は、自分が小学時代から犯してきた過ち、たくさんの人間を利己主義から傷つけてきた償いとして、私を必要としてくれて、その人達のために役に立てる人間を目指す生き方に昇華しました。

償いという動機と言うと、最初の頃は負い目をずっと抱え込んでいました。

そんな私も、徐々に心境が変化していきました。

コラムを通して何度も唱えているように、こんな私を必要としてくれる相談者様の一つ一つの声が、私に心に沁みこみ、充満するようになったからです。

みなさんの「ありがとう」「救われました」のメッセージにどれだけ自分が救われたことでしょうか。

気がつけば、いつしか過去への贖罪から、純粋に誰かの役に立ちたいという動機に切り替わっていました。

私があえて誰にも話したくない黒い過去を話したのも、私のルーツを話すことで、少しでも今を苦しんでいるみなさんの人生にヒントを与えられればという思いがあったからです。

    
実は、このコラムを書き終えた後、作中の前半に登場したまさし君と十数年ぶりに連絡を交わすことが出来ました。

彼は今、小学校時代からは想像できなかった人生を送っていました。

ミュージシャンとして、夢を追い続けていて、今では全国で幅広く活動しています。

彼は当時から輝いていましたが、音楽という道を通じて、人々に希望と熱い気持ちを提供しているようです。

まさし君は、当時、自分から離れていってしまった自己中な私に対して、無視をするという選択肢もあったのに、 「連絡してくれてありがとう」と、返事を返してくれました。

そんな懐が広い彼に、感謝の気持ちでいっぱいです。

つらつら書いてきましたが、私もまだまだ未熟な部分を持つ弱い大人です。

善と悪の葛藤に苦しみ、自分のふがいなさに落ち込んでしまう場面も多々あります。

でも、私でも、誰かに必要とされれば強くなれるのです。

私の拙い長文にお付き合いいただいた方に、厚くお礼を申し上げます。

ともに未来へ進みましょう。

2015年12月1日

Posted by TAKA