第38回「大学に居場所をなくしたある青年の話」その4
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2007年3月15日、N君は大学を卒業しました。
孤独のあまり心の底から泣きたかった卒業式だったようです。
後にN君はこの日の思いを私に刻々と語ってくれました。
卒業式を控えた一ヵ月ほど前から、N君は何度も拒絶反応を示していましたが、最後の瞬間、確かにN君はそこにいました。
N君は他でもない自分とのけじめをつけるために、逃げませんでした。
式が終わった後、学科別の教室に移動したそうなのですが、N君の目の前に広がる光景は、彼にとって入学以来一番堪える空間でした。
「今日で卒業だけど、○○ちゃんと出逢えてホントによかった……」
「お互い別々の道に進んでもずっと親友だよ……」
大学4年間の中で芽生えた友情を噛みしめ合う卒業生。
「先生、私この大学に来て本当によかったです。ありがとうございました!!」
とめどなく流れる涙を拭いながら、恩師への感謝の念を伝える卒業生。
N君は自分が空気のような存在だったと振り返っていました。
N君だけは部屋の隅に身を細めながら、冷淡な表情で彼らの一部始終を見渡していました。
人間にとってその人の存在価値や相手の本性が見えるのは別れの時と言われていますが、N君にとっては自己否定感を再認識するだけでした。
N君にとって別れ=名残惜しさという感覚は、まるで別世界の絵空事でした。
N君がこの日ただ一度だけ人と会話を交わしたのは、後輩の一人への回答だけでした。
一年留年したのはN君だけだったので、現役4年生の間でも、異色な目で見られていたと言いました。
こうしてN君の5年間に渡る大学生活はピリオドを打ちました。
彼はこの顛末を、地獄絵図だと説明していましたが、想像しただけで、極限状態に置かれていたN君のやり場のない思いが響きました。
耐えに耐えた5年間、振り返っても、「これだけは自分は頑張った」「一生の出会いに巡り合えた」という軌跡は皆無だったのです。
「この大学に来て親友と呼べる存在が一人も出来ないのだとすれば、福祉を目指す人間には向いてない」
一体自分は何のためにこの大学に来たのだろう。
堂々めぐりの連続から答えは見出せませんでした。
それからのN君は、4月から新社会人として、地元の福祉施設の介護員として働き始めます。
割に合わない報酬、従業員を社畜のように扱う労働時間と仕事量。
2015年現在、彼は逃げずに踏みとどまって現実と向き合っています。
いつも話を聞いていて、「そんな辛い職場なら辞めればいいのに」と思って止まないのですが、それでもN君は今日も働き続けます。
N君はあの大学時代の虚しさに比べれば、まだまだ耐えられると言っています。
彼の5年間は無駄ではなかったようです。
そんな直向きなN君ですが、社会人になってから、私生活に明らかな変化が生まれました。
3年の交際を経て、見事に恋愛結婚につながる縁をゲットしたのです。
新たな物語は今日、この瞬間も確かに刻まれています。
N君は、自分を鼓舞するかのようにいつもこう言います。
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★ヨウコ子です★新着記事でヒットして舞い込みました!いいブログですね。ワタシ好みで気に入りました。主婦の貧乏脱出日記にも見に来てくれると嬉しいです。