第152回「メール・LINE無視の苦しみの先には」

2015年12月1日上手くいかないネット、SNS、メール

メールを題材に扱ったコラムは、これまで何回か取り扱ってきましたが、LINEの爆発的な普及に伴い、メールだけではなくて、LINEの既読無視で苦しんでいる方が相当数増えています。

 SNSコミュニケーションが主流となった現代では、無視問題が他人事ではなくなっているくらい頻繁に飛び交っているようです。

改めて、「無視」という無言の態度ほど精神的にじわじわと締め付けられる苦しみはありません。

私も幾度となく経験してきましたし、今でも友人や知人にメールを送ってそのまま返信がなかった後には、虚無感と失望感が生まれているものです。

ましては、好きになった相手からの無視があなたの心に与える心理的ダメージは計り知れないものでしょう。

そこに言葉がないゆえに、どうして相手が自分を無視しているのかの見えない要因を、堂々巡りのように思索するようになります。


あの時、もっと違う文体にしていれば。
自分が嫌われているから無視しているんだ。
今まさに他の異性と過ごしているから、邪魔者にされているんだ。


答えが見えないために、悪い想像はとどまることを知らなくなるものです。

どんどん自分を追いつめて、自信を喪失していく悪循環に陥っていくのです。

あるいは、そんな相手に可愛さ余って憎さ100倍で、「この自分を無視にするなんて許せない!」と、憎しみの感情が湧いて、相手の反応があるまで何度も送り続けるかもしれません。

そういった負のスパイラルから脱却して、少しでも意識が浄化するために行った私の工夫を紹介します。


1.そういう相手には距離をおくようにする


もしかしたら、こちらが無視されていると意識していても、実は相手からすれば、無視したつもりではなくて、これ以上送る必要がないと判断して送らなかったという場合もあります。

あるいは、その時はメールを送る余裕がないのだとしたら、追いつめなければしばらく経ってから送られてくるというケースも往々にしてあります。

そういうケースの場合は、無視した後に必ず誠意を示してくるはずです。

相手があなたのことを大切に思っていて、今後も良好な関係を築く意思があるのならば、フォローの一つが返ってくるはずです。

私は、自分から相手とコミュニケーションを図るためにメールを送ったのに、一度や二度ではなく数回応答がないよう ならば、「この相手とは縁が結べない」と判断して、距離を置くようにします。

極端な考えと感じられる方もいるかもしれませんが、そういう手軽なやり取りからでも十分相手の人間性が判断できるからです。

何年も長続きしている友人や先輩とは、メールを無視され続けたり、途切れることはありません。


2.自分は他者を無視しないようにする


無視されることの苦しみをたくさん知っている自分だからこそ、連絡を求めてきた相手には、無視しないように心掛けようと固く決心するものです。

私がサイトを通して大勢の相談者様とやり取りをしていることからも、無視だけはタブーだと強く意識するようになりました。

ところが、実際に実践してみて、自分も無視してしまった出来事が何度か生じました。

幾度となく私に正解を求めてくる質問に対しては、すぐに返事を返さなかったり、話題を逸らすような応対をせざるを得ない場合があるのです。

私が答えないと重大な決断が選べないような依存関係にならないために、あえて返事を書かずに時間を置くように心がけていることもあります。

相手からすれば冷徹な人間だと感じられることもあるでしょうが、相手の可能性を信じてるからこそ返事をしないこともあるのです。

頭を冷やすとその時には生まれなかった発想が浮かんできて、自己解決につながることをねらいとしています。

自分が無視をしてみて、人間は完璧には振る舞えないものだし、無視する側にも理由があることを身を持って体験することになりました。


私がメール無視について考え方が大きく転換した出来事をお話ししたいと思います。

かつて私が仕事生活で窮地に陥った時に、自分の力ではどうにもならずに最後の手段として、高校時代の担任と教員生活の時にお世話になった師匠とも呼べる先生に相談メールを送ったことがありました。

 とてもお世話になった方々で、個人的な連絡先を教えてもらっていたのです。

 「この先生ならば、自分を助けてくれるのではないか」

期待を込めて、長文メールを送ったわけです。

しかし、二人とも私のメールに応えてはくれませんでした。

私は、信じていた人に裏切られてしまったような失望感に長い間支配されました。

それから半年が経って、新年が明けてまもなくして、教員生活でお世話になった先生から年賀状が届きました。


その先生から送ってもらったこと自体が想定外でしたが、書かれていた文字が意外でした。

「あの時メールを返せなくてごめんなさい。ずっと気にしていました」

なぜメールを返さなかったについては触れられていませんでしたが、私はこう思いました。

先生にもそれぞれ自分達の人生があって、生活を優先させるためには、期待させるような対応はできないのだと。

たとえ無視という選択をとったとしても、心のどこかにしこりが残っていることもあるのだと。

私はその年賀状を見て、モヤモヤが飛んで行ってしまったので、もう責めたり過去を引きずる気は失せました。


私も日々の生活に忙殺されている時は、無意識的に自分を求めている人間を無視したり、なおざりな対応をしているかもしれないのです。

そして、自分が知らないところで相手を失望させていることもあるでしょう。

無視されることは確かに辛いです。


結局のところ、この苦しみは他でもない自分しかわからないでしょう。

でも、冒頭で述べたように無視によって苦しんだり傷ついている方が相当数いる現状から、みなさんの人格に問題があるからと決めつける必要がないことを忘れないでいただきたいです。

原因が分からないからこそ苦しみは募る一方でしょうが、「無視された」という一つの現象が、あなたの存在の価値を下げるものではないことは確かです。

つらつらと体験を述べてきたように、無視する側にも様々な思惑があっての行動です。


SNSのやり取りが当たり前になっているからこそ、無視というメッセージが正当化されるような風潮に仕立て上げられている面もあるでしょう。

無視した相手を寛恕できるほどの余裕などなくて、失望感に浸っているかもしれませんが、 「情けは人のためならず」という諺があるように、無視されたからと言って人間全体に絶望しなければ、縁がある相手から得が返ってくるでしょう。

今が“辛”いからこそ、“一”寸先には“幸”せが待っています。

2015年12月1日

Posted by TAKA