第193回「いい人ではなく、アサーティブな関係を」

2015年12月1日上手くいかない人生アサーティブ


いい男♪いい男♪本当はどうでもいい男!


飲み会の定番のコールの一つでもあるこのフレーズを初めて耳にしたのは、大学入学後に開かれたテニスサークルの新歓コンパの会場でした。

このフレーズの先には、「でも、ちょっとはいいとこ見てみたい♪」と続き、一気飲みをせざるを得ない展開に進むのです。

「いい男はどうでもいい男」、この件が私の胸に深く突き刺さりました。

私はいわゆる「いい人」と評されることが多く、頓に恋愛においてはいい人止まりで終わってしまう苦い思い出が多々あったからです。

このような飲みの場でもネタにされて、自分が晒し者の道化のピエロのようで、惨めで仕方がなかった18の夜でした。

そして私がこの立場になってから、世の中には私のように、いい人であることに悩み続けている男性が想像以上にいることを知ることになりました。

意中の女性と二人でデートに誘うことが出来て、いざ告白してみたら、

人としては好きだけど、男性としては恋愛対象に見られない

このような言葉に返り討ちに遭ってしまう男性の数は、一桁二桁ではありませんでした。

かくいう私も10代後半に告白した女性から、この言葉を突き付けられたことがあります。

いい人って何なんだ。

アイデンティティを見失った私は、あらゆる恋愛マニュアルや恋愛指南本を読み漁りましたが、共通して書いてあるのは、

女性に媚を売る男性は恋愛対象外になってしまう。いい人はずっといい人止まり。

このような記述でした。

相手のご機嫌を常にうかがいながら、相手に好かれるために、相手のペースに合わせ続けて、相手に好意を伝え過ぎている男性は、女性にとっては安心し切っててしまい、男としての魅力を感じられないということなのです。

確かに、上手く行かなかった片思いの追憶から、私自身の行いを振り返っても、思いあたる節はいくつかありました。

相手に好かれたいがゆえに、相手の望むことは全力で応えようとしたり、相手と会っている時も、まるで執事のように至れり尽くせりを重ねていたのです。

結果として、相手に特別な男性として意識してもらうことはありませんでした。

男としての魅力は感じてもらえないという結論です。

でも、私はこのような相手に尽くしすぎてしまう男性が必ずしも恋愛に不利ではあるとは思いません。

事実、世の中には、思慮深い男性を切望している女性もいることを知ったからです。

ただ、社会全体から見渡すと、このような特徴を持つ男性は、女性だけではなくて、同性からも下に見られてしまったり、良いように利用されてしまうことが一度や二度はあるようです。

何でも言うことを聞いてくれる男性というは、相手にとって都合の良いように振り回されてしまう危険性が伴うのです。

これは、学校生活や社会人生活、家庭内において、人と人とが接する場面では共通しています。

 
恋愛は、主導権を持つ者(つまり好きになられた方)が有利と言われているように、人間関係を円滑に進めるためには、自分の意思をしっかりと相手に開示できるかどうかが肝心になってくるのです。

日本人は自分の意見を控える謙遜が美徳と言われていますが、いい人を脱却するためのポイントとして、

アサーティブなコミュニケーションが重要になってきます。

「アサーティブ(Assertive)」の訳語は、「自己主張すること」です。

しかし、アサーティブであることは、自分の意見を押し通すことではありません。

自分の要求や意見を、相手の権利を侵害することなく、誠実に、率直に、対等に表現することを意味します。 

平等な人間関係を積極的に受容し、促進、維持することで、自分が自分のために話し、行動し、臆することなく自分の権利を守りながら活動できるようになることです。

相手を不快にさせずに自分の主張をしっかりと伝えることの効果は、良好な人間関係に礎になるだけではなくて、抱えている生きづらさや自己卑下感が薄らぐことにもつながります。

私は2012年3月に、2日連続でこのアサーショントレーニングを体系的に学ぶための研修に参加してきました。

研修のプログラムは、自己のパーソナリティ(性格)は変えられないが、アサーティブな伝え方の訓練をすることで、自分のコミュニケーションパターンに気づき、自分も相手も大切にすることができるという考えのもと組まれています。

 
例えば、会社の同僚とランチをすることになった際に、本当は自分はAランチを選びたいけれども、同僚全員がBランチを選んだ場合に、どういった選択にするかといったシチュエーションが出されて、参加者達の意見を自由に交換する場面がありました。

ここで大切になるのは、アサーティブコミュニケーションの主人公は自分であるということです。

相手に嫌われたらどうしようとか、自分だけ違った意見を言ったらKYになって浮いてしまうからやめようといった考えではないのです。

みんなと一緒が美徳ではないのです。

自分の内なる声に蓋をしながら、周りの顔色をうかがいながら細々と生きていくのは、アサーティブな生き方ではないということです。

アサーティブな考え方では、八方美人になる必要はなくて、自己主張をした際にそんな自分を尊重して、受容してくれる人間を大切にしていくことで、良好な関係を維持して行けるのです。

いい人だからと自分を殺さずに、自分を活かすアサーティブな関係を意識してみませんか。

ほんの少しの自己主張から、きっと日常が変わってくるはずです。

参考文献

2015年12月1日

Posted by TAKA