第181回「ネタを手にするために動いてみる」

2015年12月1日上手くいかない人生


突き詰めると、私がこれまで約200回にわたって共通して唱え続けてきたテーマは、「行動することの大切さ」に凝縮されていました。

しかし、行動するにしても、そこでネックになるのは、自分の感情です。


試験に合格したい。

好きな人と恋人になりたい。

一生のパートナーに巡り逢いたい。


でも、嫌われたらどうしよう。

もし、失敗して取り返しのつかないことになったらと思うと、一歩踏み出せない。


そう考えると、何も起こさない現状維持を選ぶことで、確かに傷つくことも恥をかくこともなくなるいつもの日常が続きますが、悶々とした気持ちに目を背けることが辛くなる一途でしょう。

行動を起こすこと、それは自分の内から生じる声を認めること。

原点はそこから始まるわけですが、いざ現実を目の当たりすると、冒頭に挙げたような願望に反する臆病な気持ちに支配されてなかなか踏み出せないジレンマが往々にして生じます。

そこで、今回は経験を積むこと、意識することの大切さをテーマに扱いました。

以後、経験=ネタというキーワードを同義語にくくっています。


以前、ある講習の終了後に開催された交流会で知り合った行政書士の男性の名刺に、取得資格が50個以上刻まれていましたが、彼はなぜそこまで大量の資格を獲得したかという理由として、

「出逢いと会話のネタが広がるから」

と述べました。

実際に、こうした親睦会に足を運んで会話している事実が物語っているだけに、思わずなるほどと、共感を覚えた瞬間でした。


かくいう私も、何か新しいアクションを起こす時に、「ネタを手に入れることが出来る」という視点を持っています。

資格にチャレンジする時も、新しい出逢いの場に足を踏み込む際にも、結果はともあれ話の種を入手できるというメリットを常に意識しています。

その話のネタを活かす形として、他でもない“コラム”や”ブログ”の存在があります。

私の赤裸々な体験談がベースになっているこれらの媒体の背景には、まさに日々私がその時その瞬間に感じたことや、挑戦して得た経験を第三者に提供したいという原動力がそこに込められています。

本来ならば、恥ずかしくて他者に口にするべき内容ではないのに、なぜあえて表現するのか。
それは、以下の方程式が成り立つからです。


行動を起こす⇒新しいネタを手にする⇒ネタをサイトで活かす⇒同じような境遇に立たされている方が喜んでくださるorオフ会やカウンセリングで新しい出逢いが広がる⇒行動を起こす気力が上がる⇒新しい行動を起こす⇒やりがいが生まれる⇒また行動を起こす



よく、お笑い芸人がネタ帳を携えて、ネタを膨らませるために寸暇を惜しまず街に出たり、社交場に積極的に足を運んでいますが、まさに経験値を積むことで、自分のネタに磨きがかかり、仕事の幅が広がるメリットを体得しているからでしょう。


芸人の中には、かつて一世を風靡したヒロシや、芸能界デビューして間もない頃のミュージシャンDAIGOのように、モテない日常や恥ずかしい体験談を自虐ネタに取り込んで、多くの人間から好感を得た者が存在します。

その時の経験が失敗だと思っていても、同じような境遇に立たされている方の共感を誘い、支持をされることもあるのです。


ブログやサイトというオンラインの世界に限った話ではなくて、例えば、「このネタを友人に話せる」という視点を持って生活していると、行動を起こすモチベーションを持続しやすくなります。

新鮮なネタを手にするためには、洞察力や好奇心を常に働かせる必要があるので、おのずと感性や知性が磨かれます。

そしてネタをアウトプットするために、誰かに逢いたくなるような気力と行動力も向上して行くわけです。

自虐ネタのように、酒を酌み交わすような場では、必ずしも成功談だけではなくて、失敗体験談を吐露することで、場が和んだり、笑いが生まれるものです。

自分自身が蓄積した経験は、時に苦しみの渦中で生きている誰かの慰めや癒しにつながることもあるのです。

行動して、ネタを手にして、誰かに話して、認められて、また新しい行動を重ねて行く。

ネタ獲得アンテナをバリバリに張っていれば、キャッチできる感度も目の前の光景も広がります。

失恋した後に、消化しきれない想いを悶々と抱え込んでいるよりも、文章なり会話なり、何かしらの形で誰かに表現した方が気持ちの整理がしやすくなりますし、種を外に蒔くことで新しいチャンスが芽生えて行くものです。


その気になった時がチャンスです。

ともにこれからの旅路でたくさんのネタを獲得しながら、経験値を積んでレベルアップして行きましょう。

2015年12月1日

Posted by TAKA