第160回「幸せになってはいけない病を患っていたら」
自分は幸せになってはいけない人間なんだ。
ある秋の暮れに、私は取りつかれたかのように、この固定観念が脳裏につきまとう日々を過ごしていました。
振り返ってみれば、
幸せになることが怖かった
当時は、恋人との別れを引きずっている時期で、みすぼらしい自分を見せたくなくて、友人達とも距離を置いていました。
やっと本気で好きになれる人に巡り会えて、少しずつ関係を築いて一緒になれたのに、別れという結果を迎えることになり、人間関係が瓦解するはかなさ、努力だけではどうにもならない不条理さをとくと味わっていました。
好きになっても結局いつかはおしまいになって辛い思いを味わうことになる。
だったら、最初から独りでいた方がましだ。
いつしか私は幸せになることを恐れるようになっていました。
目の前に出逢いのチャンスが到来しても、
「どうせまた辛い思いをするんだし、もういいや」
という具合に、傷つくことを怖れてスルーしていたのです。
世界にたった一人だけ、孤独なヒーローにどっぷりと浸かっていたのです。
そんな生活が1年、2年と続いていると、
「どうせ」が口癖になってしまって、全てにおいて、後ろ向きで、厭世観を常に抱いている朽ちた自分に変貌していました。
恋愛のかかわりがないことで、傷つくことはなくて、他者との摩擦に疲弊したり苦労することもない。
全て自分が描いていた世界が実現していたわけですが、心は満たされていませんでした。
幸せになりたい。
私が本当に渇望していたのは、過去にとらわれながら自分の殻に閉じこもって腐る生活ではなくて、未来に進み、ただ幸せになりたかったのです。
その内なる声を認めるのに数年かかりました。
私だけではなくて過去に苦しみ、上手くいかない今に苛まれている方々はたくさんいらっしゃる実態が浮き彫りになります。
何らかの失敗や後悔の経験から自責の念に駆られていて、
「幸せになってはいけない」というブレーキをかけている様子が伝わってきます。
私の知っている方で、大学入試に失敗したことで自暴自棄になってしまい、40歳を過ぎている今でも自宅で引き籠り生活を続けている男性がいます。
「もう人生は終わってるんだ」
年老いた両親と会話を交わすわずかな機会に、お呪いのようにこの一言をぼやいているそうです。
みなさんは彼のような人生を築きたいと思いますか。
幸せになっていいんですよ。
幸せになりましょう。
自分を再構築できるのは、やっぱり自分自身だから。
そして、みなさんが周りの人間を幸せにしてあげてください。
自分にはそんな力もないし、自分を必要としてくれる者などいない。
それは盲目です。
私もみなさんの優しさを待っています。
SMAPの『not alone~幸せになろうよ~』という曲をご存知でしょうか。
人と人とのつながりや温かさを歌詞にしています。
独りで抱え込んでいないで、他者と関わることで、そこにはぬくもりが生まれます。
自分は独りではないことに気付かれたら、今からでも再生できます。
幸せになりましょう。
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